Tumblrによる無断転載に価値なんかあるの?

結論から言うと、極めて限定的にはあると思う。匿名置き場的なものとして。でも、Tumblrというか、reblogである必要ってないよね。
そもそも転載って広く伝えるための手段としてあるのだろうけれども、ウェブの世界で転載しないと広く伝えられない場合なんてのはあるとしたらサーバー負荷とかアクセス制限の回避という目的でしかない。リンク張れば済むことを転載したいってのはどういうことか。よくわからない。
よく言われるのが、「ウェブページはいつまでもあるとは限らないし、内容が変更されるかもしれない」って話での転載正当化(?)。これも僕の考えからするとちょっとおかしい。確かに、見たものを保存する権利は(権利というほど立派なものじゃないかも知れないが現実として)ある。でも、それはローカルでやればいい話であって、作者の代わりにウェブに公開する権利まで保有しているかというと、それはない。だから、クリッピング+ソーシャルなサービスがあったとしたら、そのソーシャルな部分には結構気を使わないといかんと思う。無断転載しないとか。
公開したり、引っ込めたりする権利は作者にあると思うし、著作権放棄(日本ではできませんが)していない限り、他者が無断で転載することもできないと思う。ライセンスによる転載は、事前に確認できているから無断ではない。
ウェブはたまたまその仕掛けの中で、公開したものが残りやすい状態になっているけど、それを自由に使っていいというのは利用者側の傲慢ではないかなあ。
ただ、ウェブ上からなくなっちゃうと、引用する場合にも出展元の掲示についての真偽がわからなかったり、内容が変わっていて困る、ということはある。版数管理もできないし、公開停止への対応も満足にできない。このへんは元々参考文献へのアクセスを志向したウェブの発想から言うとやむをえない欠陥ではあるのかもしれない。
と、ここまで書いて、別にたんぶら関係ないってことがわかった。無断転載の問題は単なる原則とツールの話であって、ツールが便利だから原則を無視してもいいよねって話ではない。Winnyとかの話だって同じことだろう。
無断転載ですらこうやってカジュアルに破られている。著作権法非親告罪化やダウンロードの違法化がどのような影響をもたらすか、火を見るより明らかであろう。