ヌルいサイトと批判

ウェブでは、全世界に見えるところにその主張を置けるという意味では誰もが対等なんだけど、内容まで対等になれるわけじゃない。公表した以上は、直接に、あるいは暗黙的に、評価され、ランク付けされる。見てもらえないのも一種の評価だ。そういう意味では限りなく公平になる可能性を持った世界。公平、というのは全てのものに同じ価値があるとして扱うわけではない。

1)公表に対するハードルが低くなった現在、趣味的なヌルい使い方も可能となった。
2)そのようなサイトでも、誹謗中傷は別としてアンチからの批判を受け入れなければならないのか?

ドジっ子Watcher 「公表された言論に対しては批判の対象となる」について考える

という問題がある。リンク先ではこの問題に対して疑義を呈しているんだけど、そもそもこの問題の設定自体に疑問がある。
というのは、公表のハードルについては、以前の方が低かったのではないかと思うから。ここでいうハードルは、多分「ウェブが一般化して、いろんなことがやりやすくなった」ということだと思うんだけど、僕としては逆に「一般化したことによってハードルが上がった」と考えるべきだと思ってる。見られる確率が上がってるってことだよね、これは。
広まり始めた当初のウェブは、使い道が良くわからなかったこともあって、趣味的なヌルい使い方が大半を占めていたと思う。無断リンク禁止(リンク許可制)とかもそういった時代の名残であると思う。だから、そういうサイトの存在はもちろんあっていいけど、「批判されること」は受け入れなければならないと思う。でも、その批判を「受け止めなきゃならない」義務はない。ヌルいかどうかはあまり関係ない。ヌルいから批判される。でも自分達はヌルくやっていたい。ならばそのヌルさを貫けば、回りから「ヌルいサイト」という格付けをされて、それで終わりなんじゃないかなあ。あーあー聞こえないってかわすのもいい感じにヌルくていいと思う。
もちろん、自分はヌルいから優しく扱えと要求しながら自分は過激な主張を行うのは卑怯者と見做されるのはリンク先で指摘されている通りである。
僕も大概ヌルいことばっかり書いているし、批判を聞こえないふりをすることもあるけど、批判するなと要求するのは不遜だと思ってる。「オレのインターネット」じゃないわけで。