いいじゃない、目的だって

どうせ俺が使うわけじゃないし〜みたいにいってコピペコード量産するのも一つの仕事の仕方であり、責任の果たし方だとは思うのですが、作り手魂を満足させることもいい仕事をする条件の一つであるとは思います。メーカーの製品だっていいものを作るという自己満足の世界と、世の中のニーズがすり合わさってできている部分もあるしね。

私がWeb屋をやっているのは、誰かの役に立ちたいから。誰かの望みを叶えたいから。
誰かのために何かを作ることに喜びを感じているのです。そこに「自分の作品を作りたい」という気持ちはまったくありません。私が作るものは「私のもの」ではなく「誰かのもの」になります。それがうれしいのです。誰かが、私の作ったものを喜んでくれるから、私はこの仕事をずっと続けているのです。

作ることは、目的じゃなくて手段でしょ?|fuuri.net

そう、だからこのエントリの主意には賛成したいけれども、ここまで「仕事」に徹しなくても良いかな、って思うのです。仕事はベースとして守らなければいけない線があって、でもそこを越えた部分でできることがあればやってもいいんじゃないかと。引用されてる住さんの意見には全くピンと来ませんけれども。なにかしら作ることが好きだから、まではわかるんだけどなあ。それだけじゃ仕事じゃないよね。あくまでベースラインを死守した上でのこと。
デザイナーはデザインという、自己もクライアントも満足する「作品」を作り上げるアーティストであると言ってもよい部分はあると思うんですよ。Web屋って言い方は自己に向けられた場合、そのアーティスト性を排除するための言葉なのかも知れないけどね。折り合いを付けられる最大限のところでアーティスティックになって欲しいなあという思いは実装屋さんとしてはあります。
実装屋としてはデザイナーというのはアーキテクトといってもいいかな。コピペでできるプロジェクトが真にお客さんの目的にかなうかどうかというと、時と場合によります。標準化とか低コストとかそういうキーワードならいいけど、真に戦略的で革新的な案件に既存のフレームワークを当てはめるだけの仕事は確かにお金にはなるかも知れないけど、よくよく考えたら目的にかなってなかったり。技術屋としての欲望と、お客さんのニーズが上手く目的として一体化したときに、上手くいけば素晴らしくクリエイティブな何かが出来るかもしれません。でも、失敗すると酷そう。
本当は、そういう革新的なものは、自分自身で使うために作るべきなのかも知れないけど、世の中の潮流を作り出していく力がデザイナーにあるって信じたいなあ。