全てが可視化され、永続化されるウェブの世界

だから居酒屋談義と同じことをウェブで言ったら問題があることだって多いんだってば。必ず記録装置を通過する形で発せられるウェブでの言葉は、特別な理由がない限り、常に永続化される可能性があると思うべきだ。
ハレだケだって言うけれども、そのような場の情報は必ずしも再生されない。場という文脈情報がメタ情報として常に付随し、それ無しでは再生できないという状態にならない限り、残された言葉は文脈とは切り離されて評価されることを意識すべきだ。いじめだいじりだっていうけどね。何年か後に「ニコニコ動画でネガティブコメントされた恨みが鬱積して」見たいな犯罪者が出てくるかもよ。そして、単なる事実として、そこに残っているコメントがあるわけだ。
コミュニケーションなんて常にそういうものかもしれない。「俺は加害者じゃない」っていう主張にはあまり意味が無い。そんなのわからないもの。記録される言葉を発するってことは少なからずそういうものだってことを意識するべきなんじゃないかな。だから、何が変わるわけでもないかもしれないけれども。
こうやって、物事が可視化され、記録されるようになっていくと、暗黙に守られるべき秘密とされていたものがなくなっていくのかも。暗黙の秘密は、見なかったこと、聞かなかったことにするのを了解することによって保たれる。そうすると、こんどは「ここが秘密の〜ですよ〜」みたいな、秘密であることは明示されているけど、中では何が起こっているか外に出て行かないようなものが流行るかも。SNSはちょっと近いけれども、例えばその中身がお互い晒すと不味いことになるような秘密の共有によるものである方が結束が強そう。一蓮托生的な。
かくして、本質的に無害なものは容赦なく晒され、危険なものは深く深く潜っていく。
まあ、見た目上の平和ってのは大事なことではある。