必死な文化

文脈は無視して橋下発言。
文化とは必死になるものである、というはわからんでもない。文化を守るのは誰の力であるべきか。別に行政の助けを求めるな、というわけではなくて、当たり前に与えられるものではないということくらいは自覚した方が良いんじゃないかということだけど。
例えば、オーケストラには、クラシック音楽を市民の娯楽としての提示する活動と、文化の基盤としての活動がある。娯楽の役目しか果たしてないオーケストラが客が入らなくて潰れそうだとして、それだけを原因に補助を受けるってのはどうなのか。補助を受ける権利はもとよりなくて、誰かが保護したいと思ったからされるわけで。市民による熱い支持があればよいのだろうけれども。
数少ない「音楽で喰える」パイの奪い合いに勝った挙句放り出されてはかなわん、というのはわからんでもないけれども、「プロの演奏家」である以上、仕方がないことではある。
音大の学生が、ろくにオケの曲を知らないという。音大生は必ずしもプロ予備軍ならず、単なるモラトリアムであるのは他の大学生と同じだったりする。それにしては金がかかるけれど。そういう中で、必死に食い下がって文化で飯を食っていこうとしている人だって、食い扶持を見つけたらそれで必死さ終了というわけにはいかないはずなんだ。プロのサラリーマンとて同様だからね。文化人ならではの特権などというものは、ない。