淘汰されるプロ?仕事してないプロなんてプロじゃねーよ

これから暴論を書きます。

日本語におけるいわゆるプロフェッショナルという言葉には高度に専門的な、というようなニュアンスが含有されていることが多いけれども、こと仕事という点にフォーカスして考えるとそれによって食っていくのがプロであり、一般的な会社員もある種のプロだし、プロだからという点をもって仕事が保証されるということは一切ないのである。
スポーツや芸術分野におけるプロはわりとプロであることを特別視しがちだが、そんなことはない。彼らはもしかしたら「才能と努力の結果」がプロであると思っているのかもしれない。あるいは、一度到達した地点のことを。でも、世の中に必要とされるプロは「今そこで結果を出す」プロである。

例えば僕のいるIT業界だって多分に日本語的なプロフェッショナルを必要とする仕事である。かつて、一人ひとりが専門家でなければ仕事にならなかった。今はどうか。大半の従事者は自分で考えることが極小化された作業者でしかない。もちろん、作業者としては皆プロである。サービスやプロダクトを生み出したり、顧客のコンサルを行えるくらいの技術がある人もプロである。同じプロだが待遇は違う。生み出すものの価値により待遇が異なるのは当然だ。
かつてはもっと一人ひとりが高い価値を生み出していた。なぜか。それはパッケージもフレームワークもなく、標準もなければ何もない状態でシステムを創りださなければならなかったから。でも、時代は変わっていき、今はハードウェアですら目の前にはない。有能な人は、より価値のある仕事をできるようになったし、そうでない人は過去の栄光を遺産になんとかしのいでいる。

だから、プロが淘汰されるなんて当たり前のことだ。ただし、いわゆる会社員には「正社員」という身分制度がある。それだって実際には価値がなくなったプロに対するセーフティネットの一つでしかないと考えることもできるけどね。実質法人税

さて。

冗談ではない。ネットから出てきた連中に淘汰され、食えなくなった本人が困るではないか。

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淘汰され、食えない人間はその道における必要とされたプロではない。本人が困るも何もいらないんだから仕方がない。

これについての話を見るにつけ、どうして誰も淘汰された連中のその後の人生、さらには彼らを支えることになるであろう社会保障(つまりは生活保護だ)の問題を語らないのだろうと気になって仕方がない。淘汰され、滅びたプロはただちに地球上から消滅するわけではないのだ。その後の人生というものがある。さて、彼らはどうやって生きればいい?

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価値がないものにしがみつくのは自己責任中の自己責任といえる。才能がないのにがんばって死んでいったものもいれば才能を開花させる前に死んでいったものもいればなんとか才能を開花させてプロとして実績を上げたものもいるだろう。でもそれでいいんだろ。金じゃなくて魂のためにそれを行なっているのであれば。
そうでなくて、他の分野での世間並みの待遇を求めるってことか?舐めんじゃねえ。プロを舐めんじゃねえよ。別の分野で無駄にした時間を簡単に埋めることなんて簡単じゃねーよ。生活保護でも受けてろ。

選ばなければ仕事などいくらでもあるだろうというクリシェは聞き飽きた。不安定な職業を自分で選んだのだから自己責任だ、というのも同様。日本がいかに再チャレンジの難しい社会であるかを語る輩が、この件についてはこぞってほっかむりをしているように見える。

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クリシェでも何でもない。再チャレンジ?最初のチャレンジステージに上るのを放棄したのに再チャレンジができるとでも?
日本で?世界でどれだけの人間がそもそも土俵に上がれてないのか。
自分の才能に賭けるギャンブルに負けたんだろ。ペナルティ受け入れろよ。

あなたの乗る中央線や田園都市線を、淘汰されて食い詰めたプロがある朝、体を張って止めないとも限らないのだ。ああ、そうなると実に色々な人が困るね。「困る人は誰もいない」どころではない(だいたい、淘汰された奴らが自裁せずとも生活保護受けるハメに陥ったら、そいつを負担するのは誰も彼もだぜ? そんなクズのために血税を払いたくないかい?)。

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は?電車が止まったくらいで困る?むしろ会社員あるあるネタで盛り上がれるレベルの話だぜ?迷惑だが困らない。生活保護?仕事もできない、やる気もないクズに会社がコストかけるくらいなら生活保護分の税金払ったほうが差し引き特くらいのもんだぜ?

というか、ぼくがこの仕事に就いてから6年目だが、知り合いの知り合いレベルなら何人か同業者に自殺者が出ている。彼らは力量の足りない愚か者に過ぎなかったのか? 昔、丸山健二の『まだ見ぬ書き手へ』という本に「食えなくなったら潔く野垂れ死にしてください」と書いてあったが、そういうのはプロが矜持として秘めておくべきもので、およそ外野が投げつける言葉ではないのだ。

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ぼくがこの仕事についてから13年目だが、知り合いの知り合いどころか普通の知り合いにも自殺者が出ている。彼らは力量の足りない愚か者に過ぎなかったのか?

自分の魂と、金の稼げる能力を同一視するんじゃない。仮に文章の才能があるならば、それを活かす場は文筆業とは限らない。世間で会社員をやっている人間が転職可能なのは、そこで身につけた能力が別の仕事でも評価可能だからだ。プロとしての矜持、魂に殉ずるつもりであれば、「食えなくなったら潔く野垂れ死に」すべきだし、生きたければ生活保護になろうがフリーターになろうが、そこからがんばって這い上がろうが何しようが生き延びるすべはこの日本はある。いったい何に対して絶望するんだ?好きな事で食えなくなることに?だとしたら馬鹿じゃないのか?世の中の大半の人間は好きな事では食えないし、そこで妥協している。妥協は嫌だが死にたくないから仕事くれ?死ね。