「多くが」言ってるとか言ってないとか

NOV19752008-08-15

大抵はエビデンスに欠ける。ウェブでは、と限定したらある程度はわかるけど市井の調査結果なんて容易には見つからない。
医師が免責について〜だって実は全部免責にしろや、が本音かも。もっともそれは、俺が買った馬走らんかいくらいのものだろう。みんな自分勝手な本音というのはあって、宝くじ当たんないかなと思いつつ労働の尊さを語るものである。社会的本音は必ずしも建前ではなく、願望的本音はわかっちゃいるけど楽や良い思いをしたい的夢想に過ぎない。
だから、正直、本音がどうあれ落としどころが見えていれば議論が成り立つんだけど、「多くの〜がこう言っているから前提が誤っている」みたいな話になりがち。
多くが言ってたってダメなものはダメだし、言っている人が少ないからダメでも良いってことはない。ダメなことを言っている人がいたらそれが少数派でもダメ認定はすべきだし、多数派だからダメではないにはならない。その場で展開する議論に対して中身が正しいか否かが問題。
持ち出されること自体が間違っていることが多いのだけど「そんなことを言う人は少数派ですが何か?」は相手にダメージを与えない。自分たちが論点に対して誠実であればよいのでキッパリとそいつらごと斬って捨てるべきだ。相手が多寡を問題にしてくるのであれば、前提縛り攻撃かソースを出せ攻撃を繰り出すしかないかも。
たまたま同じ属性であることを理由に自動的に「バカな味方」が付いてくるのは不幸なことではある。けれども属性をもって何かを語ることに付随する必然かも。どこかで賢い味方のほうが多いことを計量しなければならない局面はくるかもね。