なかなか過激なご意見

が書かれているのを読んだ(うちとは関係ないところでね)。うんうんとうなずきつつも、そういう捉え方は一面を捉えているだけなんだろうなあとも思ったりする。
何かを考えて、何かを表明するときに目的とするのはなんだろう。こんなこと考えちゃう俺SUGEEE、かっこいい、慈悲深いとかそういう自己実現だったりする。僕なんかはそうですな。そう認めちゃうと楽になりますwたぶん楽になってはいかん。
実践でも煽動でもいいけど、とにかく何らかの形で結果を出すことは大事なのかな。議論の種になるだけでも一つの成果かもしれないと考えると、頭でっかちで現実性のない意見も存在価値はある。
何事かに対して全否定的な捉え方をするのって結構無理があるんですよね。たいていの意見・見解という奴は単体で見ると何がしかは正しい(説明可能である、くらいの意)ことが多い。それが定型的な思考に嵌りきってしまっていること自体を批判するのがイデオロギー闘争なんじゃないかな、と思ったり。