喫煙は間違っていて、登山は正しい?

こういう問いかけかたはずるいかも知れんな。

しかし、それなら、ひたすらにリスクを減らすことだけが正しく、リスクを増やす行動を取ることは愚かなのか。ぼくは、そうともいいきれないと思う。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090515/p2

喫煙はリスクの面から言うと間違いなく愚行だと思う。愚行だけどやってはいけないという理由は少なくとも個人においてはない。社会においてはある。リスクの高い行動をみんなが取ってしまうとコストがかかる。リスクが高いことが十分に説明される今では、自由のための不自由は仕方がないだろう。でも、やってはいけないというところまでは達していない。

そもそも、どうあがいてもリスクをゼロにすることはできない。生きていることそのものがひとつのリスクなのだ。それなら、自分自身でリスクとメリットを秤にかけ、選択していく行為は愚行とはいえないだろう。その意味で、喫煙は愚行ではない。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090515/p2

確かにその意味では正しいんだけど、ここには他者(あるいは社会)という視点はないよね。個人で完結する行動としては、正しいといってもよいけど、社会に相対したときには愚行でしかない。少なくとも今現在では。
僕は喫煙の嗜好性に価値を置かないから喫煙という愚行を犯す必要も感じないけれども、リスクに見合う価値を感じている人が吸うことは否定しない。他人にリスクを振りまかなければ。社会にかかる余分なコストは税金とか、保険とかで応分になるだろう。

それは、登山のリスクは主に突発事象にかかるものだが、喫煙のリスクはそうではないということだ。登山中のわずかな油断や判断ミスで人は瞬時に死に至ることがあるが、喫煙の場合は油断や判断ミスの有無に拘わらず、じわじわと身体が蝕まれてゆく。

登山と喫煙の違い - 一本足の蛸

どちらがより愚かということを判断する基準も人それぞれだろうけど、どちらもそれが死の原因になるかどうかは不確実であるという点では同じではないだろうか。ミスや人智ではカバーしきれない突発事態は必ず起きるものだから、登山をすればするほど事故にあう確率が高まる。
違うとすれば喫煙と登山の継続性か。

なお、私見では、一流の登山家が賞賛されるのは、ふつうの人が乗り越えることのできない危難に果敢に挑んで偉業を達成するからであり、リスクを高める行動を取ること自体が賞賛に値するわけではない。

登山と喫煙の違い - 一本足の蛸

危難に挑んで達成される偉業とは一体何か。人類の役に立つのか?道を開拓するのでもない限り、誰かが達成したことを繰り返し行うのは所詮大いなる自己満足に過ぎないのではないだろうか。一流であろうがなかろうが。リスクをとる理由にはならない。
事が起きたら他者に迷惑がかかるのはどちらも一緒。しかし、登山が達成すると賞賛されがちなのはリスクの差異ではなくて、達成することの困難さがあるから。タバコを吸うだけなら誰も出来る。無論賞賛の対象にはならない。でもタバコをかっこよく吸うのもそれなりに困難だ。容儀を商売にしているのであれば、タバコを吸うことは単なる嗜好品以上の意味を持っているかもしれない。一流の喫煙者と言ってもよいかもしれない。
一流の冒険家も、一流の喫煙者もリスクをとる生き方という点ではあんまり変わらないんじゃないかな。行いそのものが世間並みに見たら愚行であることも。
愚行を避けることと自分らしい生き方を貫くことは両立しないことはままある。自分らしいってのはまあちょっと幻想なのかもしれないけど、横並びで生きていくんだったら人間にこれだけでっかい頭がついている必要はないかもしれないものね。
喫煙が他のものと比べて愚行度が高いとしたら、他の愚行は「レッツ愚行!リスクをとる俺カコイイ!」という自覚でもないとやる気にならないのに対して、タバコは愚行であることを認識しないでも吸えちゃうことかな。しかも、目に見える失敗をしない点では嗜好品として似たような存在である酒とも違う。酒は「やっちゃった」経験から学んでリスクを減らす飲み方をすることも可能だけど、タバコのリスクは目に見えないからね。