jkondo校長先生説

調査の結果、学校でいじめはありませんでした…

そういう意味じゃハックル氏の懸念する「言葉の怖さ」って事件が起きた時に問題とされる可能性はあって、今のうちにもっと議論を積み上げて実装に反映する必要はあるのだろう。

はてブが契機で誰か自殺しても驚かないが - 雑種路線でいこう

プラットホームとポリシーによる運営主体という点では学校の校長先生とWebサイトの運営者は似ている。決定的に違うのはWebサイトは教育の場ではないことだと思う。サービスをどう使うかは自立した個としての利用者に託されている。場の提供をしたことにおいての同義的な責任はあくまでそこで違法な行為が行われていないかどうかのレベルにとどまると思っている。
ここで指摘されているようないざことが起こったことは考えておかないといけないね、というのはウェブサービスなんて事件の中心になっちゃったら世間一般には学校で問題が起きたときと同じような扱いをされちゃうんじゃないかという類の心配なんじゃないかな。だから、ばかばかしいけど予防的な。
ハックルの人はこんなことを言っている。

言葉は怖い。本当に怖い。言葉というものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをおとしめようと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、法律に触れないのはもちろんのこと、誰にも気付かれないうちに、あるいはやられた本人さえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090611

そりゃまあごもっともで、僕も心理学を学んだときに感じた人間の心の脆弱さへの恐怖は何度か語っている。
ただ、カジュアル罵倒サービスとしてのはてブは確かに数の暴力を感じさせることにより言葉の怖さは増幅されるように見えるけど、実際にはハックルの人が語っているような「手練れ」が行うことによるダメージのほうがはるかに大きいと思うんだよな。100個のはてブより1つの凶悪なトラバのほうがダメージがでかい。大体はてブなんて数さえ気にしなければ自分にとってのネガティブコメントのパターンなんてせいぜい3パターンくらいしかないことに気づくはずだ。中身についてはそれぞれ受け止めてもよいけど、悪意まで個別に数えるのは馬鹿馬鹿しいんだよな。
だからはてブが危険な場とはまでは思えない。逆にこういう風に言う人がいることで、楠さんの危惧するところの事が起きたときに同義的責任を問われるかも、みたいなのが問題になっちゃうかも。「以前忠告したのに聞かなかった」というようなのね。
ウェブサービス提供者は情報リテラシーと情操教育の大切さを掲げる教育の場であり社長は校長先生であるべき、みたいな話にも聞こえるし、棒倒しや騎馬戦はは危険だから運動会から排除すべきと言っているようにも思えたりする。
ハックルの人の言動に釈然としないものを感じる人がそれなりに居るのは、1サービス事業者としては過度とも思える責任を(あらかじめ危険性に言及することにより)負わせようとしているように見えるところや、萎縮させるような外圧を押し付けているように見えるところなんじゃないかと思う。