反日上等を叫べば叫ぶほど「反」反日勢力は増大する

批判する対象とするには広すぎる属性をもって批判する、というのは無駄に相手の怒りを誘うだけだからよろしくない。「これだから在日は」みたいな批判(というか非難)は意味が無いと思う。筋の通らない汎化をすることにより、批判すべき箇所がどこなのかがぼやけ、相手の存在としての根本を批判しているような形になってしまう。これはいかんよね。

反日本の外国人政策、であれば、共感する事だってあるはずなんだけれども、反日といわれたときに、日本でのうのうと暮らすお前らをオレは否定する!みたいなことを言われたと感じさせてしまっても仕方が無いと思うわけ。ただ、日本で一生懸命生きているだけなのに、自分の手の届かないところでなされたことによって、「何もしなかった自分」が否定されるような、そんなものを浴びせられて反発以外の何が起きるのか。

海外においても、反日運動的なものが起きるけど、一人ひとりの意識ではなく国家としての日本のやりかたに対する反発としてなされていることがなんとなくわかるから、国対国の問題として捉えることもできるけれども、日本において(しかも日本人によって)反日を叫ぶことはそれとは違う色彩を帯びる。個人に共感を呼びかけたいのであれば、存在そのものを否定することと受け取られる言葉を使わず、個別具体的な何かを批判するべきなのだ。それでも反日という言葉にこだわるのであれば、それは怒りの発露に過ぎず、または八つ当たりであり、あるいはそれ以外の負のエネルギーの発散であり、なんの正当性も持たない。