言い方が不快な人の言葉をどう受け取るか

精神衛生と改善しなければいけない現実とどちらか選べと問われる局面ならともかく、そうでない場合は出来れば精神衛生を保ったまま改善していくのがベストでしょうから、不愉快な言葉を不愉快なまま受け入れる必要もないな、と思ったりはします。

だから、「精神衛生」を理由として、自分の嫌いな人や自分の嫌いな言い方をする人を避けるのは、全く正しい。「正しくも不快なことを我慢して聞く」なんてのは、一番精神衛生に良くない。状況によっては鬱の元だ。そう考えればむしろ、
どれだけ正しいことを言っていようと、
言い方が不快な人の言葉は聞くな

と言ってもいい。

言い方が不快な人の言葉は聞かなくていい | おごちゃんの雑文

とまあ、そうは言うけどせっかく届いている言葉なんだから、正しいエッセンスだけ取り出せばいいじゃない、と。言葉というよりはその態度に対して直接は反発してよいと思うし、そのあとで言葉に言った人フィルターをかけて中身だけ取り出してしまえ。
ただ、そのためにはやっぱり耳に一度入れないといけないから、最初の不快を避けることはできない。とはいっても、言い方は不快だが自分に有用なことを言う人と、そうでない人はある程度経てば区別できるのではないかと思っているし、たまにいいこと言う、くらいなら精神衛生を優先してもよいのではないかとも思う。
まあ、話を聞く、くらいの不快は我慢してもそれほど精神衛生上よろしくないということにもならないんじゃないとかと思うわけ。どっちかというと、対話をしない、というほうが大事かもしれない。対話をすることで有用な意見を得られる可能性ももちろんあるけど。

この話が、特に「自分に向けられた」というものであれば、正しい意見なら言い方に関わらず聞く、という印象を作っておくのが大事かもしれない。こちらに何かを求めるのであれば、少なからずやり方を考えるようになるだろうし、ただ批判や非難をしたいだけであれば、だんだんとフィルターにかかる率も高くなるだろう。