図書委員長は眼鏡を取ったら絶世の美少女だった
このエントリはずいぶん共感するものがあるのだけれども、必ずしもそればかりが真実であるとは思わない。
図書委員長は眼鏡を外すと死んでしまう。せっかく手に入れた共通認識をしててしまうような振る舞いは、「なんとなく」の主役でいられなくなった業界の、必然なのかもしれない。
http://ulog.cc/a/medtoolz/13043
図書委員長は眼鏡をとっても図書委員長でいられるかもしれない。そのとき、その眼鏡に隠されていた何かが人を惹きつけることがないともいえまい。
うん、ちょっと違うな。どっちかというと、「俺、昔はちょっとヤンチャだったんだよ…」って言いながらミニバンに乗り始めたパパ、みたいな。トンガリすぎて敬遠されてたのが、少し丸くなって、かっこよさのエッセンス(実のところ大衆に迎合したものでしかないけど)だけを評価されたりして。
ソニーだって「技術の」ソニーだったんだけど、業務用のそれのエッセンスをコンシューマーに広げる(そのかわりの代償はソニータイマー)ことで売れてきたんだと思う。すると、「技術の」という看板は委員長の眼鏡かな。いや、最初に眼鏡を外した(=そこに業務用クオリティーが詰まっていることを見せた)ときには明らかに新たな地平が見えた。ところが、お化粧することをやめちゃったら…
多分、2段階ある。1段階目は大衆化・一般化するために必要な、看板の拡大解釈。2段階目にグローバル化とか効率化・共通化といかいうお題目での看板外し。ヤンチャなふりをしているだけなのに気づいたときにそれでもなお価値が残るかどうかが勝負の分かれ目か。