騙されることに怒るのは

まだもやもやする。
騙されたことに怒るということは、その対象に何らかの価値があって、その価値が毀損されたからと考えることができる。騙された、という事自体に怒っている可能性は否定できないけれども、その前に信じるというプロセスがあるわけだから、やっぱり信じることに幾分かの価値を見出している

ソーシャルメディアにおいて、いいねの圧力(そういえば同調圧力は日本的なものだといわれるけど、いいね!ってわりかしそういうのに近いものがあるので欧米でも少なからずあるんだろう)や、絶賛の嵐に乗っかることが自分の価値観を表明する何がしかの行為だとしたら、安易に乗っかって騙された、ということがそれを毀損するか。しないよなあ。価値観はそのエピソードに対して表明されていて、それが「事実」という文脈に置かれないと機能しないのであれば、そもそもそれは「実話に感動している俺かっこいー」的な何かでしかないような?

騙されて通報しちゃったとか、電凸しちゃったとかそういう実害が出ているものに対して悪質だと怒るのはまあ当然なんだけどね…

どうもそのへんのボーダーラインが見えてこない。