アマチュア表現者の目的と目標

大学の時にやってたバンドの目標は、夏に行われるコンテストで優勝することだった。一応全国区だが東京で行われることもあって(またかつて隆盛を誇ったジャンルとはいえ人口は少ないので)、50バンドくらいの争いではある。
狭い世界なので他のバンドとの交流は深く、いろいろ事情を聞くこともあるんだけど、その、一応皆が目標にしているコンテストへの取り組みはとてもまちまち。僕たちは前期試験前に曲決めて試験終わりにさあ始動!だったんだけど、春からずっとその時にやる曲(枠は15分)の練習ばかりしているところもあった。
ある年のコンテスト後、たまたまライバル校の打ち上げと場所がかぶった。ノーテンキに飲み会をやっている僕らを尻目に、上位入賞したそのバンドは「優勝できなかったこと」についての反省会というなのOBによる吊るし上げを食らっていた。かわいそー。
その時思った。優勝はしたいけれども、自分のやりたい音楽を貫いてそれが評価されなきゃ意味がないと。勝つ事は目標であり結果だけれども、目的ではないと…

以上は前置き。
はてブ数と評価の関連についての議論は五年で二周くらいしているのかな?自意識過剰なヒーローが生まれると取りざたされる。
僕の総被ブクマ20000越え、1エントリ最大500越えっていうのはまあまあなところだと思う。単にブクマを稼ぐだけならば、適当なライフハック記事を乱発してればあっという間だろうし、そうでなくてもアルファブクマカーに定点観測されるような記事を書く事で伸ばす事はできるだろう。基本、ツッコミどころの多い記事を書く事がブクマブレイクのコツであるので、「ブクマを集める記事を書く」ことを目的とする場合、それは単にテクニカルな領域の問題にすぎない(ようは「つれたつれたー」ってことね)。
ブクマを集めるってのはその程度のものなんだよね。もちろん、目的がそれである(PV稼いで広告収入、売名行為)のならば、それでいいけど、評価の基準としてブクマ数を持ち出すのは「僕は絶対評価できません」と告白しているようなものではないか。
如くのごとく迎合的な発想を行うものが一流の表現者足りうるのかというところに僕は疑念を抱かざるを得ない。
もっとも、精神が高尚であっても実力が伴わないとどうしようもないんだよね。僕とか。
好きなことを書いて肯定的な大量ブクマを獲得するコンビニの人に僕は尊敬と嫉妬の眼差しを向けてしまう。せめてかの人を越えてからブクマ数を基準として持ち出さないと空回りなんである。
個人的なことをいえば、アクセス数アップのコツとは無縁の、テーマも文体も中身のレベルもまちまちで適当極まりない僕のブログに一定の読者がいるということはとてもありがたいことです。作文が下手くそなのは精進を怠っているからだという自覚はありますが、書きたいことを書き続けられるように頑張りたい。


余談。
僕の大学四年生の夏は熱く燃えた。
信念を貫いた結果として作り上げられたものが評価されたことはえもいわれぬ悦びであった。評価そのものはおまけでしかないけれども、結果を得ることは自分自身に確信を得ることに繋がる。ただ、それは過去の成果でしかなく、そこに縛られると何事も成せない人間になつてしまうことを自戒として生きている。