「STAP細胞の5年間」は科学の権威の犠牲になったのか

はてブロの方で書いた記事の補足みたいなものです。
早速ニセ科学界隈が騒ぎ出している模様 - novtanの日常
「科学の進歩を停滞させたことの言い訳で、論点のすり替え」みたいなコメントがあって面白かったので。論点のすり替えって何を何へすり替えたのかねえw
☆たくさんついてるけど本人プラスいつものアレ

とはいえ、タイトルについて結論を言うと残念ながら「犠牲になった」と言わざるを得ない部分はあると個人的には思います。

これは科学の実践部分での弱点みたいなもので、現代の知見において十分に確からしい(つまり、実力に裏付けられた権威が認めるもの)はエビデンスが不十分でも予算がついて研究が進められ、そうでないもの、特に「え、ちょっとそれありえないっていうか気のせいじゃない?」みたいなものについては懐疑的になり予算がつかないで研究が頓挫する、ということも十分にありえます。
すでに報道されているように、今回のSTAP細胞についてはいろいろな人がありえないという判断を下したにも関わらず、研究が続行された結果の成果であり、一歩間違えば闇に葬り去られていた(いずれは見つかるだろうけど)ものです。というか、実際に「現象は目撃していたが研究するに至らなかった」人がたくさんいて、今頃地団駄踏んでいるんじゃないかと想像できますよね。

じゃあこういった状況は「悪いこと」なのでしょうか。

ここは重要な点なんですが、科学研究というのは無私の行為で費用もかからない、というものでは決してありません。普通の会社員が出世競争をしたり儲けようとしたりお金が無くて困ったりというのと同様の一つの経済活動という部分があることを認識しなければなりません。当然ながらそこにいる科学者は皆聖人というわけではありません。一山当てて金持ちになってやろうと思う人もいるし、他人の研究を横取りしようとする人もいれば企業に与してゆるーい検証結果を提示したりもします。金が無いとどうにもならないことはあるんです。

時間と費用というリソースが無限にあるのであれば、全てのアイディアは検証され尽くすでしょうけれどももちろんリソースは有限です。

今回は「現象の発見」というのが先にあったお陰でそこにリソースをぶっこむ決断を下せたんだと思います。そういう意味では最初の発見時に否定がなければもう少しスムーズに研究は進んだかもしれませんね。

科学でないものを排除するための防壁が結果として科学の進歩を阻むことは珍しいことではないんですよ。ただ、それが有限のリソースを可能性の低いところに突っ込む山師的な行動を排除することにも繋がっています。

僕が重要だと思っているのは、どんなに「ありえなさそう」なことであっても、エビデンスが十分に示されることで科学の側はそれを認めるということであり、今回そこまでに時間がかかったことそのものは本当は必要のないミスジャッジによるロスであったということは認めなければならないと思います(し、実際、以前の論文を見たことがあって今回の報に接した人はみんなそう思っているんじゃないかな。悔しさ半分で)。

ただ、すでに報道がある通り、国際特許の出願やら実証研究やらが裏でひっそり進んでいる現状(当然、発見者を利する状況)になっているのは最初の論文がリジェクトされたからというある意味ラッキーな結果なのかもしれませんね。人生万事塞翁が馬なのかも。

個々の研究という点でみたら5年間は確かに無駄な部分はあったかもしれませんが、総体的に見た場合、決して無駄な5年ではなかったんじゃないかと思います。