新しい階級闘争のはじまりなのかな?

連日、増田のエントリーが賑わってますね。

もやもやするので書き出す
とか
仕事量に応じてお金を払うんだっちゅう前提がまちがっとるんよ。 会社か..
とかとか。

ある程度「時間換算ではない」仕事を目指している人にとってこういう話って結構的外れに聞こえる部分も多いんじゃないかな。
これって実は同じ「会社員」の中でも明確な階級化が進んできているということなんでしょう。
高度成長期の僕らの親の世代って、実態はともかく、ブルーカラーからホワイトカラーへの転換という意識があっただろうし、そこでいうホワイトカラーってのは時給仕事じゃないという意識もあったと思うんだよね。結果として、日本人のかなりの人はデスクワークになったんだけど、デスクワークの結構な割合が肉体労働…というのがふさわしくなければ精神的肉体労働に変質しているんですよね。出世も望まない、一定の量あるいは時間の仕事が自分の仕事と思っている、等々。
それは当然の話だよね。政府の話でなんだかおかしいのは、そういう「実質的工場労働者」みたいな人を事務仕事に見ていないってことなんだけど、一方で、いわゆる「総合職」という概念がそこを区別していないというのもあります。つまり、世間の認識している「ホワイトカラー」という概念自体がもう実態と合ってないんですよね。

面白いのはいわゆる「意識高い系」が「労働者としての幸せ」を追求していたりしちゃうところだなーってあたりなんですけど、別にそれは悪いことじゃない。新しい労働の形を考えていくこともこれからは必要ですよね。ただ、世間の認識や制度は追い付いていないし、それがために白い目で見られることもあるんじゃないかと思います。
でもなあ、これを何とかしていくためには労働者と資本家の犬を峻別していかなければならないし、それはよっぽどのことが無い限り飛び越えることのない「階級化」なんですよね。もちろん、現時点でそれが「正社員」という壁によって行われている現実はあります。でもぶっちゃけ「正社員」の中こそそれをやりたいって人(主に経営側だろうけど)が多そう。

例えば、SIerなんてその最たるもので、SIの会社に入ったのに結局コーダーで一生過ごすみたいなマインドの人ってどうしましょうって。子会社作って転籍してもらって待遇(特に将来への期待度)を下げる代わりに働きやすさを高めるなんて話も出たりするんだよね。

労働に「生活の糧を得る」以外の価値観をおかない人って、そういう分断についてどういう風に感じているのかな。切り離して欲しいって思っているんだろうか。
出世して仕事の形態を変えて生きていきたいって思っている人(僕もそう)からすると、仕事も人生の大きなウエイト(それは時間だけではもちろん無い)を占めていて、やり甲斐とリターンを出来るだけ一致させようと日々頑張っているわけですが、ともすれば「あっち側」に見えてしまう人たちが、こっち側に来たがっているのかどうかっていうのは3年5年先の仕事を考える上で結構重要な問題なんですよね。