ニセ科学と歴史修正主義は似てないという話

とやかく言っても仕方のない部分はあると思うんですけどね。

一つだけ違和感のある点を述べると、そもそも歴史「修正主義」の人なんていないのではってところですね。結果的に歴史を改ざんしていることはあっても、積極的に「修正」しようとしているのではなく、「真実」を明らかにしようとしているのではないかと。歴史的な「正しさ」というのは主観に彩られることが多いから、そういう考え方に一定の説得力を与えてしまう。これは近現代史に限ったことではなくて、実際に歴史は積極的に修正されてきている。「正しい歴史」側が完璧な歴史を構築するにはタイムマシンが必要なわけです。

ともあれ、ここでいういわゆる歴史修正主義者というのが愚劣なことを行なっていることが多いのは議論の余地はないとは思うんですが、それはニセ科学のロジックとはちょっと違うと思うんですよね。科学というのは客観的な事実が作りやすい結果として、客観的な事実を明らかにすることをサボることは科学と見做されないという線の引き方が楽にできるので。

歴史修正主義への対応に科学の方法論でコミットすると、たいていの「事実」は「可能性が高い/低い」で片付けざるを得ないんですよね。たとえ文献になっていたとしても、それを書いた人が真実を書いたかの証明はできないわけですからね。なので、少なくとも物事を曖昧にするという意味では歴史修正主義に利益を与える方向に倒れることのほうが多いんじゃないかと思うんですよね。つまり、この件は科学の方法論で考えるべきことではない部分が大きい(もちろん、適用可能な領域はあるだろうけど)。

歴史修正主義撲滅にコミットすることは現状の社会問題としての大きさを見るに必要なことなんだとは思うんだけど、それは積極的に歴史修正主義者を殴りに行くって話じゃなくて、歴史修正主義にコミットしないというところがスタートだと思うんですよね。その役目を担っているのは歴史修正主義者許すまじって人だし、ニセ科学を叩いている人が歴史修正主義に近づいていった場合に「そんなんでニセ科学叩く意味あんの?」っていう疑問を抱く必要はないと思うんですけどね。それとこれとは別であり、むしろ「わかんないんだったら口出さずにニセ科学叩きに閉じこもってろ」って言ってあげるほうが正しい態度なんじゃないかと思うんですけどね。