「批判をするなら代案を出せ」はいつ適用可能なのか

「批判をするなら代案を出せ」は面倒な人への対処ツールにすぎないのでルールのように扱わないほうがいい – The First Penguin
ここで話されている事自体にはあまり建設的な感じを受けないんだけど、いずれにせよ、批判をするなら代案を、というのは代案を出すなら批判を受け入れよう、という風に捉えられてしまうと泥沼な話だし、あまり言いたくないワードではありますな。
よく、代案は現状維持であるということをいう人もいるけど、それもケース・バイ・ケースで、改善提案とか代替策に対しての批判は「それ、今の方がマシ」で代案となりうるだろうけど、新しいビジネスを考えている時にこれはダメという批判は代案がいらないんじゃなくて、そもそも代案がなければ話が始まらない。代案がいらないのは「何もしない」が十分に選択肢として成立している時だけかもしれないな。
であれば、いつ何時たりとも「批判をするなら代案を出せ」ということは可能なんだろうけれども。
けれどもね。
批判に真正面から立ち向かえない案に未来があるとは思えないけどね。あまりにアホらしい批判を論破することが面倒くさくて、じゃあ代案持ってこいよと言ったら更に論破するのがアホらしい代案が提示されてくる悪夢なんてことを考えると、単にアホなことを言う奴は政治的に締め出せ、というのが正解な気がしてしまいますね。