「w」は嘲笑かを語源から探る

いまさらwの語源などと言うと、「古参ネットワーカー(火暴」的ラベルを貼られそうなのですが、まずそこから。

説1:「笑」

最も有力と思われるし、現在はこの意味しかもたないと思われる。もともとは、(笑)とか文末に(笑として使われたのが、(w)とか(wに変化し、さらに括弧が不要になったもの。ただし、海外のMMO語源説もある。登場時期的に言ってマッチしないから、それは的外れと思われる。

説2:「を」

今やこの説を主張するものは少ないけれども、実際に使われている現場を目の当たりに、かつ使っていた身としては、語源として捨て難い。実際には説1との両面で生まれ、笑の意のみが残ったということだと思う。で、何故「を」なのかというと、そもそも草の根BBS(大手商用BBSには僕は触れていないので、あえて限定する)でのやりとりの際に、一人ボケツッコミを表現する手法として「〜(おいおい」というものがあった。多分に自分に対する苦笑的ニュアンスを含んでいると思われる。次第に「(お」「(ぉ」などと短くされていったのだけど、これはいくつかの変種を生んで、そのなかに「(をい」⇒「(を」⇒「(w」とされるものがあった。「(o」だとなんのことかわからないし、漢字変換モードでは「お」が表示され、変換の手間がかかるため、「を」のほうだけ「w」に変化することが可能であった。
この使い方は、自虐的な意味であったり、自分のてきとーな言い放ちに対して他人に突っ込まれる前に、ネタであることを明示することのできるものであったりする。

wの複数使用

これに関しても説が様々あるように思えるけれど、有力な話としては、2chあるいはMMO「ラグナロクオンライン」での使用にあると思われる。ここでは自虐的なニュアンスは次第に消え去り、嘲笑を意味することが多い。ラグナロクオンライン黎明期では、wが和やかな笑いを示すのか、一人ボケツッコミを示すのか、他人に対する嘲笑を示すのか、さっぱりわからない時期があったように思う。その後「うはwwwwおkwwww」などの迷言を数多く生み出し、あまりに多用すると芝刈り機によって刈られてしまうお約束も…

「w」は嘲笑か

以上の歴史的経緯から、「w」が意味するところは基本的には「笑」であるが、そのニュアンスについては文脈に大いに依存することがわかると思う。この場合の文脈というのは、読み手側から見ると、行間に隠された(本当に隠されているかどうかは別)文まで含んでしまうものであるため、明確に嘲笑で無い、と言い切ることの出来る場合を除いて、常に嘲笑と受け取られる可能性があると心得ておくべきである。特に、複数個重ねた場合、意味合いが嘲笑側に大きく傾くから、本当に嘲笑じゃないときは使わない方が無難じゃないでしょうか。

実名ウェブの実現方法の模索

http://d.hatena.ne.jp/yama_r/20070624/1182616365につけたブクマコメントについてのid:himagine_no9さんの問いかけに対する回答をして見ます。
ブクマから抜粋

himagine_no9 匿名性 ネットに文章を掲載するときに実名を強要することは著作権法上の著作者人格権(氏名表示権)に抵触する。名義も含めて表現の自由だからね。 id:NOV1975 さんは小倉弁護士の共通ID構想にはどうお考えでしょうかね?
welldefined 実名を流行らせるというのも非現実的。アメリカのように周囲の人間と気まずくなっても気軽に他所に移れる社会でもないからね。
NOV1975 匿名, web そうだよ!僕はずっとそう言っているのに実名派の人から実世界も含めた包括的な実現案が出てきたためしがないんだよ。じゃあ現状維持で良いじゃんと思いますよ。

はてなブックマーク - Slow Jamz - 匿名禁止以前に、実現させる方法を考えた方がいい

id:welldefinedさんのコメントを残したのは、僕の主張はまず、そこをクリアしないと欧米とは比較しても意味無いよ、というところにあるからです。それについては、以下のエントリをはじめとして、随所で触れています
実名とトレーサビリティーは直交する概念である - novtan別館
で、小倉先生の共通ID構想についてはえっけん氏の小倉弁護士の「共通IDシステム」をテキトーに考えた:ekkenでの主張が現時点では現実的な話なんじゃないかな、というところだと思っています。ただ、僕自身は発言に対しての同一人物性の確保ではなく、法に抵触するような場合のトレースの容易性をもう少し高めても良いんじゃないかなあとは思っています。そういう意味での共通IDは必要かと思いますが、そのIDの運用は、今のIPアドレスとアクセス記録を使ったトレースの運用(つまり、プロバイダや警察などの手を介す必要性)と同じようにすべきで、共通IDのみから一般の人が個人情報を容易に検索可能である必要はないと思います。
ネットで、誹謗中傷や詐欺の問題が現実社会よりおきやすい、と言うのは確かにその匿名性が原因かも知れません。で、現実の「実名で生活しているじゃないか」というロジックをネットに持ち込もうとすることが多いのですが、その一方で、そういった主張をする人の手によって、ネットの平和な利用と、現実の匿名的活動(わざわざ名前を名乗らない活動・買い物とか公共交通機関の利用とか)との対照は行われないことが多いです。もちろん、実名を晒す(会社の公開された役員名簿とか)ことによる現実での危険においても、それほど多くない的な言及で終わってしまっています。ネットという仕組みで匿名の場合に誹謗中傷が増えるんなら、実名の場合に誘拐やストーキングが増えないとどうして言えるのか、という点においても実名主義者の方が「自分は大丈夫だから」以外の根拠を示してくれたのを見たことは無いですね。
つまり、まだまだ議論の余地がありすぎるほどある話であり、外堀も内堀も何にも埋まっていないのですから、原則論以外のべき論は説得力を持ちえてないのだと思います。

主張の強度と応答可能性

「〜すべき」「〜でなければならない」「〜は間違っている」「〜が正しい」という意見は、強い主張であり、何らかの根拠を示すことなく行うことは難しい。それがファクトの積み重ねであっても、最終的に整合性の取れた理論化ができない限り、万人からその意見の正当性が認められることはなかなかあることではない。ただ、理論そのものが強固に構築されていたり、特定の知識を前提として必要とする難解なものであったりする場合、理論に対する反論をその素養が無い人がすることも難しい。だから、わかりやすいところとしてのファクトに対する反論を行うことになる。
一方、「〜かもしれない」「〜と思う」「〜の方がよい」「〜ではないだろうか」的な、断定的ではない意見*1は理論そのものが脆弱であるから、理論そのものについての反論が多く生まれる傾向があるように思われる。
前者において提示されているのは、多くの場合、理論であり、その証拠である。また、後者において提示されているのは、大抵は仮説や単なる思いつきであり、その証拠である。
ところが、前者において、その主張が単なる仮説に過ぎないとき、その主張の仕方の強度と内容の強度のアンマッチが発生する。主張に対する反論の強度は、主張の強度に比例するとしたら、主張の強度が内容の強度を上回ったとき、反論の強度は内容の強度を上回る。そこで論者が主張の強度を下げるか、内容の強度を上げない限り、論争の展開は泥沼の様相を呈することは目に見えている。
となると、反論に対する応答可能性というのは、論者が主張と内容の強度のバランスをとれる人物かどうかにかかってくるようにも思える。強度のアンマッチに気付くことなく、脆弱な内容(根拠)で主張を繰り返したり、指摘された内容を検証せずにスルーすると言うのは反論に応答しているとは言えないのではないだろうか。

*1:つまり、このエントリのような

責任ってなんだろう

女性は最近5年分約150万円を受け取ったが、残る24年分約500万円は時効で受給できずにいる。女性は事務所に記録漏れを再三訴えたといい、社会保険庁関係者は、窓口の職員が必要な確認作業を怠ってきた可能性を指摘している。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070624i301.htm

この関係者の人が指摘している可能性。指摘。なんだろう指摘って。内部監査じゃないんだから。
例えば、業務と関係ないところで犯罪者が発生したときにまで会社が責任を問われるってのはおかしいけれど、業務上のことで、職員の怠慢が発生していることについて、その職員のみの責任とすることは無理がある。原因には色々な可能性があって、でも、その行為が原則や内規や上司の指示と噛み合っていたかどうか、あるいは、こういった仕事振りをチェックする運用があったのかどうか、そういうことはあまり報道されない。少なくとも、行為に対する直接の関係者以外の責任の所在ははっきりしない。お役所の不祥事って大抵がそうなってしまう印象がある。それはそういう報道が目立つだけかも知れないけれど。
昔の人がやったことに対して、今の人が責任を取らなければならないってのは正しくないかも知れないけれど、もし、その昔から続く悪弊を容認し、同じことをし続けていたのであれば、そのことについては責任を取らなければならないだろう。
でも、責任を取るってどういうことなんだろうね。金返せ、とか辞めろ、とかそういう問題じゃないんだろう。本来すべきことを自分の責任において全うするってことなのかな。