食べ残しの定義

箸を付けたかは基準にならんだろ。食べずに残ったものが食べ残し。
SF的には失われた水分を補給して再構成してやればよいのかな。もちろん、現実には料理は可塑性のものであろう。
板前とか仲居さんのはともかく、下げられる前に他の客の体組織のかけらに長時間さらされたのを「ダマで」出すのはどうかという話だよね。ちゃんと断って出せばいいのに。でもそのことが消費価値を毀損するのがわかっているから言わなかったんでしょ。であれば、衛生的にとかもったいないおばけとかは関係なくて、単なる詐欺。
エコブーム最先端企業になり損ねて残念でしたね。

人間は、失敗する生き物です

何度も何度も何度も何度も言うけれども、現状と理想は違う。理想的には、匿名のあるいは実名の攻撃者はおらず、多少の失言はにっこり笑って許してくれるような寛容な社会を望んでいるけど、政治家のちょっとした失言をここぞとばかり人格攻撃にまで持ち込む政治の世界を看板に作られている、自由で民主主義が建前の経済至上主義社会の中で、僕らがどうやって発言場所を確保していくかという問題は常に存在します。
発言のニュートラルさや、失言したときの問題回避を低コストで実現するための現実的な手段として、そこに匿名があるだけです。
人がみな善ならんとするのであれば、問題は起きないかも知れませんね。そうでないから、ある種の行政機関があるのではないでしょうか。

ライフスタイルを持って下流とかそれはないでしょ

自分を卑下した言葉だとは言え、同じような行動様式を持つ人のことをまとめて下流と言ってしまっているように思えます。

ですが、僕のように一人暮らしで下流的モチベーションしか持っていないと、広い部屋があれば

  • ホコリだらけ
  • ものは片付けず放りっぱなし
  • 新聞はうずたかくつもり、まるで廃墟
  • ベッドの上とパソコンを置いてある机の上だけかろうじてものがない

という状態になっています。
要するに、部屋を管理する能力も意欲もないんです。
これが下流だ!!

人生の1/3を過ごす場所としての住まい - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)

dankogaiへのカウンター言説とはいえこれはないんじゃない?
こういうの書いてるとサバイブSNSとやらもなんとなく「下流どうしで傷を舐めあおうぜ」みたいに見えてしまいます。部屋を管理するモチベーションが低いことがどうして下流に繋がるのか、さっぱりわからない。

これはひどいspam?ブクマ

まずはこちらをご覧下さい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/siisise/20080507/p1
タイトルが「うへへ・・・」になっていますが、もちろん元のエントリはそんなタイトルではありません。そしてなんだか非人間的な連番IDが並んでいますね。
実のところ、これは僕のエントリのブクマの以下で気付きました。タイトル変更合戦を3回くらい繰り返して「あれ、このまま100ブクマ超えとかして超人気エントリにならね?」とか思ったけど止まっちゃったw
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20080507/p4
不可解なのは、この僕のブクマの一連のときに、一言「実験」とコメントを残していたtからはじまるIDの人が落ち着いた後消えたこと。IDメモっとけば良かった。さて、なんの実験なんだろうね。

自由は人を制約する

先日のエントリに面白いコメントを貰ったので紹介するよ!

d346prt 2008/05/07 10:11
〜略〜
> 今のウェブベースのクラサバ回帰的な流れも
ちょっと無理やりですが、ケータイ世代の話しと絡めて考えてしまいました…
コモディティ化して行く上で仕方のない事かもしれませんが、自由度の少ない方への流れには、一抹の寂しさを感じます。
# 「俺たちの世代スゲー」で何が悪い!ヽ(`Д´メ)ノ

保証しません、は建前 - novtan別館

そう、PCなんて使い方の自由のためにあるような機械ですものね。しかーし、それはある種の人々を制約しているのです。それは、PCの使い方を自分で判断できない人たち。つまり、マニュアルどおりのやり方しか出来ない人々にとって、自由とは何をしていいかわからないから、逆に何もできないと言う最強の制約なのです!
まあ、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、PCを使う人にも二種類いて、使っている人と、使わされている人なんじゃないかと思う。で、ビジネス系のサイトは主に使わされている人が対象になるので、制約をかけることで出来ることを明確化して、そのことにより何をして良いかわからないという最強の制約を回避しているわけです。もちろん、この制約はコストをかければかけるほど外すことのできる量が増えていくんだけど、もともとのターゲットに対してはある一つの制約をかければ十分だし、マニュアルを増やすことが「どれを見れば良いかわからない」「間違えたところを見てたせいで操作を間違えた」という別のトラブルを生んでしまう可能性があるわけです。新しい制約が強力であればあるほど前の制約を無効化する力も強く働きます。
ウェブ端末としてのPCの究極的な状態は、「やりたいことしかできない」だと思うんだけど、それはもはや家電だよね。PCが家電化してく流れはあるけれども、PCがPC足りえる理由の部分は堅持していきたいですね。ま、勝手に守られそうだけど。