実名論者が求めるものと匿名論者が求めるもの

この二つの立場において、特に過激な立場を取る人においては建前と本音(あるいは必然的に発生する効用)が正反対になることが多いように思います。

  • 実名であるべき論
    • 建前:実名であることで、根拠のない*1誹謗中傷などを無責任に行うことを防げるし、行われたときに訴える相手が明確
    • 本音:実名であることで、社会的地位や実名が持つ実績による議論の前提的力関係を強く維持することが出来る
  • 匿名であるべき論
    • 建前:議論はその内容のみで評価されるべきであるから、当人の社会的背景などのバイアス無しに純粋な議論が出来る
    • 本音:罵倒して怒らせても最悪消して逃げればいいや。キな人に絡まれてもこっちが消えればよいのだし

もちろん、純粋に本音の部分だけで主張している人もいると思いますし、全部が全部これに当てはまっているとは思いません。が、この二つのべき論は議論の本質においては全く意味を成しません。内容を評価するのであれば、それこそ実名が何を言ったからといってその発言以外のものに影響される必要はないし、議論以外のところで誹謗中傷は容易に起こりうるし。
何でおかしくなってしまうかというと、この論を相手の立場への反論の時に使ってしまうからです。「誹謗中傷を防ぐためには実名」との主張に対し、「匿名とは議論できないっていうのか!」と言って見たり、「議論は匿名のほうが本質的」に対して「匿名は誹謗中傷があるから危険だ!」と言って見たりするのは、相手の主張が本音の部分で守りたいことの逆を行っているからなのではないでしょうか。しかし、本音の部分で反論すると当然相手のほうが正論ですから、うまくいかない。だから建前の部分で噛み合わない議論をするしかなくなります。
このような構図が常にあるわけではないし、きちんと本音の部分を「含めて」正対している人もいます。あるいは建前のところが本当に本音の主張でもある人はいます。だからこれはそういう議論もあるよ、というお話なのですが、しかしこの手の発言を過激に主張している人ほどこの構図*2に当てはまることが多いような気がするのですよね。

追記:この話を書いたきっかけは、前からいくつか考えていたことがあったのと、実名論者で以下を考慮していない者は3年ROMれ*1 - 私は私だけのみかた黒木ルールに近い話をされていたので、ちょっとまとめてみたと言うところです。上記のエントリに僕がつけたコメントへ、ぶくまより - 私は私だけのみかたとして返信いただいていますが、それに対する僕の考えの回答でもあります。
なお、その返信エントリで小倉センセイがコメントされていますが、それが重要なのは第三者の視点が登場するときで、議論の当事者にはあんまり関係ないですよね…とこっそりコメント。
も一つ追記:本音と建前と言う構図は場合によるのであまり相応しくなかったですね。ブクマのb:id:suVene氏とかb:id:kusamisusa氏にいただいたコメントがそのことを的確に言い表していると思いました。そのうちもう少し違う形で書けたら。

*1:根拠がないから誹謗中傷なわけですが。

*2:ちなみに実名匿名論に限らず同じ構図になる議論は結構多いと思います。