上から目線で語りたい?

小説にとって読者は神の視点であり、通常知りえない登場人物全員の胸のうちがわかってしまったりするのが幻想としての世界を生み出していたりする一因だったりするわけですが、現実の世界でも当事者としての立場にいると本来見えるべき構図とか、論理が全く見えなくなってしまい、あるいは見えない振りをしなくてはならなくなったりします。一方で読者も同様の立場にいるものは、いわゆる傍目八目で、客観的に構図を見ることが可能になり、その当事者たちがその立場に立たなければならない根源的な理由を気にせず議論の本質のみを語りがちになります。
この場合の客観というのはこれは往々にしてというかほとんどの場合、上から目線になるわけです。上から目線にもいくつかありますが、例えば

  • 上空から争いを眺めながら拡声器で客観論
  • 上空から争いの当事者をレベルが低いと罵倒

とすると後者の人がそれなりにいるのがネット言論の特徴でしょうか。もちろん前者の人はいっぱいいますよね。
一歩議論に当事者として乗り込んでしまうと、上空でヘリから語ることはできなくなります。同じ地上に立ってしまえば立場は対等。むしろ後から来た分当事者能力に欠けることが多いでしょうから常に攻撃の的(相手の弱いところを攻めるのが戦いの鉄則です)になっていまいます。肩入れされた方は迷惑かもしれません。だから、下に降りたとたん、(見かけ上の)優位を失うので、特に見下し型目線で対応していた人は全力でその立場を守るために努力する(自分が上であることを証明する)か、尻尾を巻いて逃げ出すしかありません。大変ですね。
ところで、ブクマコメントに一見上から目線が多いのは、見下しゲームであるとかそういう動機であるよりも、単に当事者よりもよく景色が見えて、かつ自分が当事者になるつもりがない意識の現われなのでしょう。何も公衆の場で言わなくてもいいじゃないという話ではありますが、微妙に自分の意見に賛同を求めたい、でもブログに書くのは避けたい、というような話題について簡単にコメントできるという仕掛けは今のウェブ住人にとってそれなりに使いやすいツールになっているわけです。ブログのコメントよりブクマコメントのほうが争いの場から遠いから言いやすい(し逃げやすい)のですよねえ。
余談として。僕はブクマするものは全部コメントをつけてますが、印象に残った記事に対してそんなに人に見られて困らない程度の感想を残す、あるいはコメンターに対してのツッコミ、くらいの用途で考えています。必然的にいわゆる上から目線になってしまうことはありますし、場合によっては若干意識的にそういう書き方をすることもあります。どうも酔っ払っていると抑制が効かなさ気味なので気をつけないといけませんね。