戦後責任があるとかないとか

何を背負えばいいんでしょうかね。賠償責任?それは当事者同士で。
まだ、「戦後」なんだよな。

われわれ戦後生まれとしては、悲惨な「歴史」を繰り返さないための、未来に対する責任は確実に存在すると思う。それは、どちらの側もだ。過去あいつらはどういうことをしたからどうのこうの、というのは当事者が発する言葉としては有効だけど、戦後世代が発したらちょっとアレ。もちろん、そのせいで家計が貧窮して云々とか国の景気が云々とか政体が云々とか、まだ延長線上にあるのは否めない。でも、いがみ合いや擦り付け合いで解決していくべき未来、というビジョンは僕には悲惨なものにしか見えない。つまり、学んでいない。
まだ、「歴史」になりきれていないからそこから学ぶなんていう俯瞰的な目線がとりづらいのかもしれない。でもそこを割り切らないと次の一歩として踏み出せないよね。

先の大戦ってのは世の中の転換点としてはものすごく大きいものだから、そこでどちらの立場に立っていたかということが大きく影響している。でも、どちらの側であろうと、そこで変わったのは世界というものに対する目線。未来に生きる僕たちに課された責任というのは目線を上げることのはず。なんだけど、その後の政治経済情勢によって、目線を上げられなかったところが恨み節になるのは仕方ないのかな。
過去に対する責任ではなく、未来のための責任として過去の不幸に起因する何かをどうにかする、ということであれば、僕たちも相応のことをするべきではないか、と思う。ぶっちゃけ、責任を求める側の話の仕方が悪くて反発されている、という風にも。

多分に抽象的な話ですが。