「しあわせ」広告への共感力

ちょっと幸せアピールしただけで「幸せになれないヤツのことを考えろ!暴力反対!」と言われてしまうはてな界隈のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。わたくしは社畜アピールという絶対防御壁のお陰でそこそこ安全です。暴力反対。

さて、話題のアレ。桃太郎。鬼。鬼の子供が桃太郎に末代までの恨みを抱き薪の寝床で苦しみ肝を舐め舐めついには復讐を果たす物語。違った。
最優秀賞「めでたし、めでたし?」

桃太郎に父親を殺されたという鬼の子どもを描いた最優秀賞の「めでたし、めでたし?」は、審査委員から「鬼の子どもにとってはそうなんだ、と読み手の心に小石を投げるような作品だ」「“逆からの視点”で幸せとは何かを考えさせる発想が抜きんでている」「新聞協会が選ぶ広告コンテストのグランプリにふさわしい、エッジの効いた作品だ」と高く評価されました。

2013年度入賞作品|新聞広告データアーカイブ

へえ。

よく言われるけど、昔話ってのは元ネタがあって、地域の勢力争いとかの結果が寓話的に語られる的なものだったりはしますよね。歴史は勝者が作るって話でもあるので、そこに書かれている正義は一方からの見方にすぎないとかね。そりゃそうなんだろうけれども、もうちょっと普遍的というか抽象的な正義においてはある程度「悪」を規定する必要があって、悪は懲らしめられなければならないという社会の一般原則を子供も学ばなければならないんだよね。マクロな視点で見るとそういった価値観が全体の幸せにつながるわけです。ところが、個々の悪にフォーカスしてしまうと、そこには事情もあるし、コミュニティーもあるわけです。

だから、この手の「逆からの視点」ってのは共感の仕方を間違えるとよくわからない赦しにつながるわけですよ。ええ、いわゆる「いじめられる側にも問題があった」「いじめる側にも育った家庭の影響が」云々ってやつ。

というか、これって「しあわせ」をテーマにした公募じゃなかったら、どう考えても「正義に絶対はない」的テーマにしか見えないよね。

例えば、復讐の連鎖を止めなければいけない的な話ってさ、外部の圧力によるものだと結局のところ抑圧されているだけであって、いつでも復活しかねない話じゃないですか。あれは当事者本人が言ってこそ始めて説得力がある言葉であってね。

この作品は視点の転換を強固に迫り、人々が目を背けてきた問題をさらけ出す、という点では確かに優れていると思うけれども、テーマが「しあわせ」であるとは思えないんだよね。「めでたしめでたし」というのはしあわせを意味しているというよりは、問題の排除を表している言葉に思えるわけで。なので、ひねくれた目線から見ると、「子供が不幸になる結果を招いた行為をしていた鬼たちのブラック社会ぶり」を強調するような作品とも受け取れるんだよね。

だいたいさ、「桃太郎というやつに殺されました」ってのがもう事情も説明されてなくて「あいつが敵だ」ってニュアンスを醸し出していて復讐に向かう気まんまんじゃない。幼いのに武器持たされてるしさ。んで、桃太郎に辿り着いた挙句「確かにお前の父親を殺したのは私だ。私を倒したければ全力で向かってくるがいい。だがその前に1つだけ教えておこう。お前の父親は我々の住む村の村人を何人も殺し、金品や女を強奪した大悪党なのだよ。私はお前の父親を殺さなければならなかったのだ」「がーん」ってなるわけでしょ?もう不幸せしかみえないじゃん。

なんかね、これにあっさりと共感してしまう人ってもしかしたらこの手のこと何も考えてないだけで、見た一瞬だけ「イイハナシダナー」って言って消費しちゃうんじゃないかなって。

「おとうさん、殺されるほど悪いことしたのかな」くらいのコピーだったらずーんと来ますけどね…