あいつらの人生終わらせてるのは俺ら?

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「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」 - やしお
なんかね、「厳しすぎる」という言葉で何故か「誰も責任を取らない社会」に続けているんだけどさ、これって見方を変えると免責要求だよね。
真に価値がある者は情報である、という真実は、情報化社会という、誰もが情報の荒波の中で泳ぐことを要求されている社会の中でははっきりと見えるようになったし、情強情弱という格差は冗談ではない。誰かが潰せと言わなくても、見ている人は見ている。退学にならなくても、就職担当者は採用する奴の名前で検索くらいは普通にする。ネットなんて使わなければいい?そいつの悪口を実名で書く奴はどこかにいるだろう。
単に、今までは過去の悪行を見て見ぬふりしてきた社会があっただけだよ。昔はやんちゃしてました?具体的にはこれとかこれだよね?で、その時に迷惑かけられた奴らに謝罪したの?という話で。

もともと(俺らは品行方正に我慢して生きてるのにあいつ好きなことしてズルい、許せない)っていう嫉妬と恨みの感情で「つぶせ」って言ってるだけだ。

「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」 - やしお

いやいやいや。DQNであることを理由に何故か免責されてきた責任をきっちりとってもらえる社会が来たってことですよ。嫉妬と恨み?別に品行方正な人な生き方をして来た人にそもそも冷蔵庫に入りたい衝動が抑圧されてきていたとかないですから…

確かに、このエントリで指摘されているように、品行方正な人における抑圧はあると思う。それってでも、「俺はできないことをお前らはやっていてムカつく」じゃなくて、「バカなことやってふざけんな、俺らの社会を壊すなよ…でもDQNに注意すると仕返しされるかも…」という抑圧だよね。結果として、DQNがやった行為について、例えば今回のような話であれば、お店がその損害を言い立てるわけにも行かず、被っている場合だってあっただろう。
しかし、DQNどもの自爆行為によって、今は立場が逆転している、という状態。何しろ自爆だし、店じゃなくて見知らぬ誰かが責めてくれるから店は世間に迎合しましたって形で処分できるしね。

さて、そういう認識の相違はおいておいても、重要な指摘はある。

こうして「厳しすぎる社会」と「だれも責任をとらない社会」がお互いを支えあってく。
 そんな社会で実現される責任は、本来個人が負うべき責任の範囲に対して過剰に小さいか、過剰に大きいかの両極端に振れてしまい、適切な責任のとり方が難しくなる。なにもなかったことにするか、全部そいつのせいにするか、どっちかしかない。

「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会」 - やしお

これを防ぐためにはどうしたらいいか。それは、「責任をとったらその話はおしまい」にすることだ。当然ながら「そういうことをするやつ」というレッテルは一生ついてまわるだろう。犯した罪は消えてなくならない。しかし、社会に対する責任は終了させることができる。「この程度のこと」でも適切に責任を取る社会にしていくことで、逆にそれはそれ、これはこれ、という価値判断ができる社会であるべきなんだと思う。

責任のとり方について。過剰に小さいか大きいかというのは利害関係者がどう見るか、という話でしかない。例えば、調理の専門学校の生徒が非衛生的な行為を自慢気にさらしていたら退学にせざるを得ないだろう。全部そいつのせい、という点についても場合によっては雇用側の問題も指摘されていた。
損害賠償が云々って話は騒ぐ側とは関係ない、バイトと雇用主の間の話であり、法的な判断の場に持ち込んだら社会的に妥当な判断が下されるだろう。

「昔はやんちゃしてたけど、守るべきものができたから…」みたいなセリフってさ、その守るべきものをやんちゃで壊された人がいたりすることの責任をとってなかったりするわけじゃん。もちろん、社会ってのはそういう繰り返しで他人が支えあって作っていくものでもある。そういうマンガ文脈においても犯した責任はまじめに社会に貢献することで果たさなければならないってよく言われるじゃない。でも本当は行為一つ一つにちゃんと責任をとるべきことはある。

別にね、若者が社会に対して反抗する、みたいなのがダメだっていうわけじゃないのよ。例えばタバコ吸ってみたりとかね。でも最近のアレな事例とかってさ、表向きはまじめにやってまーすみたいな顔して裏で飲み会とかやる野球部とかさ、そういうやつでしょ。いわゆるヤンキーですらない、単なるお馬鹿で、社会に反抗しているんじゃなくて、社会を舐めきっているだけ。社会を舐めたらしっぺ返しが来る、これ当然。「俺ら社会をナメテマース」ってアピールすることが反抗だとは思わないし、こっそりやるならまだしも世間に公開しちゃうようなバカは適切に処分されて欲しいって思っちゃうな。