名前を伏せたつもりでも

言い尽くされたことに違いないが。ブログを何かのはけ口として使うと言うのは一つの用途としてはありだけれども、言ったことが他人にばれないかというとばれる。確実にばれる。王様の耳はロバの耳であることを穴掘ってその中に向けて言って埋めても広まってしまう。
じゃあ家の中で言えばいいのに、と思うかも知れないけれど、外で言うという行動によってしか解消されない、つまり相手は何でもよいから吐き出すことがストレスから解消される唯一の手段だったわけだ。
その叫びは、確かに個人に対する中傷だったりするかも知れないけれど、相手が特定されなければ社会的には害が無い。どうやったら相手が特定されるかと言うと、相手の個人情報を出してしまうか、または自分が誰かを知らしめたうえで、相手との人間関係を公表することだ。個人名は出していないけれども、結果として出したことと同じことになる。
いわゆる実名による啓蒙系の記事も「前、話をしたクライアントが」「相談しに来た部下が」と言う形で間接的な個人への言及を行っていることがままある。事例の紹介とはいえ、筆者の身元が明らかであればあるほどその人との人間関係を提示されたら相手が誰がわかりやすくなるわけだ。私小説を書く作家がしばしば裁判沙汰になるのもこういう事例に該当する。
つまり、実世界のことを心の健康のために吐き出すように書くには実名ではなく匿名が相応しい。実世界と全く切り離されていればいちばん良い。もちろん、その状態で相手を実名で中傷したら卑怯極まりないけれども、その行為は「知りうるのは誰か」というロジックからトレースされ匿名性が失われる行為だと言うことがわかっていればやらないだろう。
でも「王様の耳は」「ロバの耳」と言うのは前者は個人を特定しているし、後者は個人の属性に対して密接すぎる。「ある人の耳は」「普通じゃない耳」くらいがブログでいえる限界なのかなあ。