実名とトレーサビリティーは直交する概念である

例えば、匿名の投稿者による誹謗中傷に対処する、という事象において、

  • 匿名を禁止し、実名でしか投稿できなくする*1⇒社会的・心理的抑圧による抑止力の強化
  • なんらかの手段で身元を特定できる仕掛けを用意しておく⇒トレーサビリティーの確保

であり、一見実名はトレーサビリティーを担保するものに見えますが、これはただ単にたまたま「名前からも」個人を特定可能なだけであります。トレーサビリティーを確保するための実名は、名前だけではない個人情報を多く提供しなければ成り立たないわけですから、常にそれが見える状態にするというのは名前以外の個人情報をかなりの部分、公にするということです。単に最終的にトレースできる目的のためにしては話が大きすぎる。
トレーサビリティーというものは、システム的に確保することが大前提です。従来はIPアドレスの記録で十分と考えられていましたが、ネットカフェや公開アクセスポイントの広まりとともにそれだけではダメだね、ということにはなってきています。ここで実名が〜みたいな話にしてしまうのは、それはそれで無い話ではないかもしれませんが、インフラで担保する方向性のほうが妥当かと思います。
一方で、アプリケーション側でもトレーサビリティーを考えることが出来ます。いちばん小さいところではサイトを運営するに当たって、どういうポリシーで運営するか、というところでしょう。このとき、インフラ側でトレーサビリティーが確保されていれば、「問題があればその情報を相手に公開する」旨謳う事でも十分抑止力足りうる。一方、もう少し大きなアプリケーション的考え方としては、やはり一元化されたアクセスIDの発行のような話になりそうです。
あまりたとえ話にするのは良くないと思いますが、イメージとしては

  • インフラによるトレーサビリティー:車体番号・車検番号・ナンバープレート
  • アプリケーション的なトレーサビリティー:免許証の発行

これだけあれば事足ります。ただし、車に乗るのは乗る資格があることを示す免許証が必要であり、また「事故等で通常必要としないレベルの個人情報の交換が必要になった場合」免許証の提示が身元を担保します。その上で、他の連絡先や勤め先の開示を任意に行っているわけです。住所と名前と電話番号を書いたプレートを常に掲げて車を運転しているわけではありませんよね。この例だとナンバープレートはアクセスIDに当たるのかもしれませんけれど。
僕としては、無用なトラブルを事前に避けるためには実名にすることそのものよりも、免許制度みたいなものを作ってしまったほうがよいような気もしています。
あと、このような議論の中で諸外国の例をあげることがよくありますが、被告になることが単純な社会的制裁対象とならない文化の中であればともかく、実名でちょっと愚痴ったことが誤解されて訴訟になっただけで社会的地位の危機に見舞われるような国で「外国では〜」といわれても困るわけです*2。つまり、実名でのネット活動においてはネット上の仕組みよりも実世界の方の仕組みに問題があってそれが壁になっているとも言えます。実世界を変えるのかネットの仕組みを変えるのかというと圧倒的に後者のコストのほうが低いわけですから、実名で活動しようが匿名で活動しようが、その部分には関係ないところでトレーサビリティーを確保する仕組みを考えていくのが現実的ではないでしょうか。
どうしても「今の仕組み」の枠組みの中でしか議論できないのであれば、結論としては、「インターネットは廃止しましょう」以外にはないように思えます。

*1:システム的にどう実現するというのはここではおいておく

*2:困らないのは書くことが仕事の人か個人でやる仕事の場合だけでしょう。勤め人は書くなという主張ではもちろん無いという前提ですが。