理由を考えさせてしまうからこじれる

「事実を認識しろ!」の「しろ」は命令であり、断定でもある。その「事実」を今まで認識していなかった人はなぜ「しろ」と言われるのか理由を考えることだろう。これは、客観的な事実を単に客観的な事実として受け入れる思考に慣れた人から見ると奇妙なことに思えるかも知れないけれど。
で、真っ先に思いつく理由が「責任を感じなければならないから」となるような事実であれば、この言葉は「つまり、責任を取れ」という暗黙の言葉が続いていると認識されてもおかしくない。そんなことを言われたと感じたら、反発する人がいるのは自然なことだ。だから、「少なからずそういう側面もあるよね」的な話は客観的な事実をどう認定すべきかだけではなく、自分はそれに対するべき態度をどう考えているか、というようなことまで表明しなければならない。いや、それは面倒だね。もし、その議論が非常に限定的な、議論の大前提を理解した人のみの集まりであれば別にそんな面倒な話にはならない。広く伝えようという意思があるのであれば、面倒なことをしなければならない。前者を目的としている議論であれば、とやかく言う人に対しては「素人はすっこんでろ!」でいいと思うんだけど、最初からこじれるということは、そこの見極めがなされていなかったからなんじゃないかと思う。