しょうがないこと

しょうがないとは、諦めの言葉。何に対しての諦めなのか。
原爆を投下される事態を招いてしまったことはしょうがなかったのか。
原爆が投下されないと戦争が早く終わらなかったからしょうがなかったのか。
原爆が投下されないとソビエトが日本に上陸してしまったからしょうがなかったのか。
何かの行為を正当化するための言葉として、「しょうがない」は全くの不適切な言葉だろう。本当に他に手段がなく、諦めざるを得なかったのか。それは投下した側だけの問題ではないけれども、それでも。
現在進行形で被害者が存在する、そのことについて、諦める資格を持っているのは一体誰なのだろうか。
過ぎてしまったことはしょうがない。けれど、ここでしょうがないのは、原爆を落としたという行為そのものではなく、その行為によって失われた様々なものをいくら惜しんでも帰ってこないことだけだ。原爆を投下した行為に対してなぜしょうがないと言えるのか。同じ状況であれば、再度使うのを辞さないという論理を承認したことにならないのか。僕は、なると思う。
一体、防衛相という資格において、原爆の何を「しょうがない」と言えるのか。被爆者や、被害にあった人たちが、自分の失ったものについてのみ言うことが可能な言葉を不用意に口にするような政治家は、やはり一国の大臣にしてしておくには力不足に思える。
単なる失言の問題であることはわかるけれども、それでも、周りの反応が過剰だとは思わない。