ニセ科学って言われるのが嫌ならトンデモ科学になればいいのに

最近読んだ面白かった本。

トンデモ科学の見破りかた -もしかしたら本当かもしれない9つの奇説

トンデモ科学の見破りかた -もしかしたら本当かもしれない9つの奇説

ほぼ実証されている科学とトンデモ科学の境目は非常に脆い壁で出来ていて、どちらかに倒れてきてしまうことがよくある。この本では、どれもありえなくは無い(可能性は0%ではない)としつつ、トンデモ度でその信憑性を判定している。科学的な解説というのはそういうものだろう。
しかし。

最近「ニセ科学」と決めつけて、波動やマイナスイオンを批判する学者が目に付きます。学者の知識と経験だけで、将来性が多いに見込める日本の技術を否定しています。しかも、批判者同士がつるんで仲良しクラブを形成しています。ブログ上での批判も許し難いですが、さらに市民講座なるものを通じて大衆を引きずり込もうと必死です。なぜ、そこまでやるのか、公費を使って何を考えているのかさっぱり理解できません。
この現状を踏まえて、ある企業グループは損害賠償と名誉毀損で訴訟の準備をしています。とても悲しいことですが、企業の怒りは大きいようです。

セミナー詳細

まだこんなことを言っている人たちがいる。なぜ「ニセ科学」と言われているか、その理由がさっぱりわかっていないわけだ。ある企業グループってなんだよw
なんでニセと言われるか。実証されて無い効果を「科学的に実証された」と謳うからだ。効果があるかもしれない、ないかもしれない、では商売にならないからかも知れないが、科学的に真摯な態度を取るのであれば、「効果がある」と断言して商品化されるということがそもそもおかしい。そして、その効果はIHクッキングヒーターで炒め物ができると言うほど明確なものではない。もしかしたら、効果あったかも、と言うような、主観でしか判断できないあるいは他の要因を排除できないものである。
仮説を立てるために、それまでの科学で培われてきたものと別のものを提示するのであれば、少なくともそれが科学的検証に耐えるものであることを示して初めて科学になるのであって、仮説だけを提示されても困る。それは、その根拠が「なぜなら私がそう思うからだ」に過ぎないから。
しかし、たとえそうであったとしても、効果が無い、と否定することは難しい。もしかしたらあるかもしれない。だから、決して「そんな効果あるわけない」という批判にはならない。「科学的ではない」と言われるだけだ。なぜなら「科学的に実証された」とか「説明できないけど真実」などと言うからだ。だから「ニセ科学」呼ばわりされる。
実証されていない、現在の科学では説明できない、しかし筋の通った仮説であれば、それはトンデモ科学であればよい。いつか実証されるかも知れない。されないかも知れない。今の科学で常識と思われたことが実は誤りで、波動は本当にあるのかもしれない。しかし、あると決め付けることはニセ科学だ。
ニセ科学」と決め付けられているのは、仮説の内容そのものではなく、その態度である。仮説は科学になりうる。しかし、それが科学であることを拒否しているのは、「ニセ科学呼ばわり」されている当の本人である。