Webの向こう側

2.0的な話ではなくてね。
僕はあんまりオフ会とかには行かないから、普段やり取りしているこの空間の向こうにどんな人がいるかは想像するしかない。もっとも、ただ会っただけだと人格の色々が明らかになるわけじゃあないから、これは人間関係全般に言えるのかも知れないけど。
そういう場だから、基本的にはその場での発言が嘘でした釣りでしたは結果に過ぎず、書かれた内容を受け止めるしかない。もちろんこれは伝聞的な話や真実性の証明が必要(中の人ですが何か的)な話のことではなく、普遍的な人間の問題のことに限られるけれど。
少なくとも僕はそういった問題にはネット人格を一己の完全に独立した人格として扱う姿勢がないとネット上では対処できないなあと思ってたりする。それは現実の人格が別にあるとして、それを切り離すことを断行する行為で、つまり、現実の人格なんてしったこっちゃない、と言う態度なのかな。で、大抵の場合、それで問題ない。だから、それで問題ありそうなときにネット上の部分だけに影響力を行使しようとするのは怖いし、かと言って現実までは面倒見れない。
向こう側を見ていないだけなのか、ネット上に現実が浸食してきているかというと後者だとは思う。10年前、と言うともうWindows95が出た後だね、くらいには、自らリンクさせていかない限り現実との接点はなかったし、そのことに自覚的な人がWebを現実の時間と空間を縮めるツールとして使っている印象はあった。あるいは、現実と切り離した部分でもそれはあって、あまり周囲の理解を得られない趣味の繋がりを求めてとか、そういうのも健全不健全問わずあった。
今もそれらは続いている一方で、自分の立ち位置を知らないままで人格を垂れ流してる人もいる。言論の自由的な問題や、誹謗中傷やネットメンヘル的なことが問題になるのはこれらの色々なスタンスの人が、あまりにも同じところに混じり合って存在する状態になっちゃったからかも知れない。過剰な繋がりあい問題というか。
現状をみると、あるいは本来の仕掛けから言っても、Webは繋がりを強化していくメディアで、それが極端に進むと個は殺される。Webがすべてから完全に自由になったときが、Webが死ぬときではないかとふと思った。