DRMは解決策足りえるか考えてみる

相変わらず迷走を続ける私的録音録画小委員会ですが、今度はこんな話になったようです。
私的録音録画小委員会:「DRMが普及すれば補償金縮小」で合意へ - ITmedia NEWS
合意ってねえ…
さて、折角なんでDRMについてちょっと考えてみる。

DRMはパッケージから価値を奪う

ここで言うパッケージとは、メディアに固定化されたコンテンツのこと。DRMを施されたコンテンツはパッケージそのものに価値がなくなります。正確に言うと、「ダウンロードの手間分」の価値しかないわけです。ちょっと大げさかも知れませんが、大雑把にはそうなります。

DRMは将来の再生可能性が保証されない

例えば、暗号解除キーをネットワークからダウンロードする形式のDRMの場合、サイトが死んだら再生できなくなります。ネットに繋がらなくなっても。未来永劫コンテンツの提供元が生き残るともいえませんし、この辺の整備は必要

破られないDRMはない

逆の話になりますが、技術の進歩といたちごっこになることは間違い有りません。ただ、アングラな世界では破れるのが常識でも、一般の人が泣く泣く使えなくなったコンテンツを捨てる姿は想像できます。

利用データが蓄積されるかも

図書館の貸し出し履歴の比じゃありませんよ!持ち物データベースなんですから。

以下取りとめもなく

うーん。なんか違うなあ。業界団体の人もそうだと思うんだけど、結局のところ、パッケージと配信(ダウンロード)と放送録画の線引きが上手く出来なくて、どうすればいいかわからないってのが根本的な問題なんだろうと思った。
CDが登場したとき、CDの容量は既存の記録メディアに比べて圧倒的に多かった。CD-ROMが一般化したとき、HDDの容量は「何枚もの」CDをリッピングして取っておくほどのものではなかった。CD-Rが登場したとき、ちょっとの振動も許されないくらいシビアな書き込みが、一枚数百円のメディアに対して行われていた。そんな過去はあっという間に過ぎ去って、進化したPCと高速な回線が今僕達の手元にあります。
DRMは何を守っているのかな。コンテンツの価値をいくらか毀損する変わりに権利を守っているのか。いや、価値は制限することから生まれる。コンテンツが空気のようにそこにあったら誰もお金を払おうとしないでしょう。そう、デジタルのネットワークにおいて、デジタルデータは空気みたいなものなのかも知れない。DRMは空気の缶詰?
デジタル時代になって、消費者側の所有に対する概念もちょっと変わってきたように思える。特に、かつてCD⇒MDのようなメディア対メディアだったものがメディア対HDDや不揮発メモリに変わって行ったときに1対1の概念は崩れたよね。パッケージとしてのメディアを持つ、というのは内容の利用形態はユーザーの自由だ、というのが基本的な考えなんだけど、つまり、「ある再生手段に特化したメディア」を所有しているのではなく、その内容を所有しているという。じゃないとマルチユースという考え方ができない。CD⇒MDだってそうなんだけど、やっぱり量が非可逆であるであることが大きいのかも知れないね。
そういった意味では、DRMは決定的に所有欲を減退させるかも知れない。同時にそれは、再生手段別の価値を創造するということになる。でも今まで持っていたと思える権利を制限するようになるしかないから、当然の感覚として、単価は下がるべきとなるよね。本当にマルチユースを求めている人がどれだけいて、実際に使ってくれるのか。そんなにはいないと思うのだけど。
結局話が帰結するところは不正コピー対策なのでしょう。そして、不正コピー対策としてのDRMは、必ず破られるであろうという点から有効性に乏しい。だからといって野放しにもできない。利便性より権利保護。
多分みんなDRMが答えじゃないのを知っている。現状のどうしようもない運用として。
コンテンツを持つって事はどういうことなんだろうか。そこの概念をきちんと明確化しないとこれから先の議論は利害関係者の対立で終わってしまうよね。入れ物から脱却したことによって、かえって制約を得そうな事態ではありますが、何かしらで線は引かなければならない。その線がDRMであるってのは終わりの始まりかも知れません*1

*1:眠いので言葉がちょーてきとー