池袋WAVEの思い出とあるバイヤーのこと

殺伐なエントリばっかり書いているのもなんなのでたまには。
はてなグループに触発されつつ。


僕が中学生の頃、池袋WAVEは、さながらサイバー百貨店だった。

当時の池袋はビックカメラもあんなに店舗はなく、さくらやもしょぼくて、今のGIGOのところにサンゴーカメラっていうマイナーなカメラ屋すなわち電気店があった。サントロペのところは何だったかな。もちろん、電気店としてはビックが一番。北口に入り浸ってX68000で源平倒魔伝ばかりやってた。迷惑なガキだ。
そんな中で、WAVEはパソコンも売ってたけど、なんだかおしゃれな感じで、ちょっと敷居の高い感じだった。そのときはそういう印象。その後WAVEとの接点はなかった。池袋は沿線に住んでいたので、街と言えば、というくらい親しんでいたけれども、高校が杉並の方だったのであまり行かなくはなったこともある。
高校に入って、吹奏楽を始めた。のめりこんであえなく浪人した。当時、日本で初めてプロのブラスバンド(英国式金管バンド。いわゆる吹奏楽を指すブラバンの名称の元ネタだけど、全然違う。ちなみに、商業的なバンドとしてのプロバンドが初めてで、それ以前にもプロプレイヤーのバンドはあったが)が出来て、そのCDを買った。衝撃を受けた。
これは本場のものを探さなければならないと思い、そこらじゅうのCD屋に出かけたが、そんなもの置いてあるもんじゃない。期待せずに入ったWAVEで、信じられないものを見た。見たことのないレーベルばかり大量に並んでいる。普段邪険に扱われている吹奏楽ジャンルのCDが丁寧なPOPに彩られている*1
数少ない予算で一生懸命買うものを吟味した。何しろ視聴ができないから。そして、本場の音を聞いて打ち震えたものだ。その後、定期的に通いつめ、何枚ものCDを入手した。もし、僕があの時社会人だったら、きっと全部のCDを買っていたことだろう。
今手元にあったり、後輩に貸したまま帰ってこないCDの何枚かは、今はもう手に入らない。そこで出会ったときだけのものだ。幸運に感謝する。
さて、そんなWAVEだったけれども、もしかしてないものがないかな、と思っていった六本木WAVEは、吹奏楽の陰も形もなかった。最近何かで読んで知ったんだけど、当時、文化的リーダーを目指していたセゾン&堤清二の戦略として、CDの買い付けは各店のバイヤーに任され、ムーブメントを作ることで競い合っていたらしい。しかし、マイナージャンルでマーケットも決まっているようなものを良くアレだけ仕入れたものだ。ニッチだけど需要は確かにあった。でも大ヒットはしない。
大学に入って、しばらく通っていたんだけど、あるとき急に品揃えが悪くなった。おかしいな、と思ったんだけど、理由がわからない。ところが、ふらっと立ち寄った、メトロポリタンプラザに新しく出来たHMV。妙に品揃えのよい吹奏楽コーナー。POP付き。まずありえない。きっと買い付けの人が移籍したんだ。そう思った。そして、それは多分正しかったのだろう。ところが程なくそこも様子が変わる。
渋谷にタワーレコードが出来て、うーん。たまたま立ち寄った吉祥寺(高校関連で集まりがあるとこの付近になることが多い)にできたタワーレコードでうーん。そして、止めの新宿タワーレコード。間違いない。あの人だ。
真偽はわからない。けれども、ずーっと追いかけてきた。今でこそ、こういったジャンルのCDはインターネットを通して買えるようになったし、輸入代理店的なウェブショップがいっぱいあるけれども、当時のWAVEが実現しようとしていた文化がなかったら、手に入れられなかったものも沢山ある。素晴らしいバイヤーの手によって紹介されなければ。

*1:このときのあるコンテストのCDでの「ドラゴンの年」という曲の超絶演奏を評して「鼻血ドラゴン」としたキャッチコピーは未だに伝説のコピーで、そこかしこで使われている。