ネガティブコメントがどうとか、その考えが既にダメっ・・!

ネガティブコメントという存在を規定することがそもそもネガティブに囚われている。
罵倒などはノイズである。バカとか言われても、そんな相対的な指標を基準を示さずに使用する奴が自分より賢いわけがない。バカという奴がバカなのではなく、バカとしか言わない奴がバカなのだ。ノイズに対して真剣に反応する必要はないし、むしろノイズでしか抵抗を示すことが出来なかったということは、ポジティブな評価しか出来ず悔しがっていると理解すべきだ。また、嫌がらせのようなものをコメントと受け取ること自体、時間の無駄だ。
指標を示した上でのバカ等の言葉は罵倒ではなく評価である。では評価がネガティブであることはネガティブコメントなのか。違う。ネガティブな評価であれ、評価をしたということは、エントリに正対しているということである。その評価の軸が公正でなかった場合はノイズとして扱えばよいし、公正であれば、たとえ罵倒の形を取っていたとしても、それを自らの糧にしなければウェブに公開した意味がない。賛同を受けるためだけに書いたエントリなど、大した価値のあるものではない。
正当に批判されているのであれば言うに及ばない。
ネガティブコメントが存在すると思うのは、自分が常に正しいという深層心理の表出である。自分が間違っているかも知れないことを常に意識しているのであれば、ネガティブコメントは実はノイズと考えるための宝の山の集合であることがわかるはずだ。
あるいは、確信を持って自分の正しさを全面に押し出している人は、ネットイナゴといって相手を貶めている。正当な批判ですら、ネガティブである以前にノイズであるというレベルに押し下げてしまう。これはこれで、実にポジティブであり、オピニオンリーダーとして必要な資質である。惜しむらくは、論理が破綻していることが多い。
ネガティブとは否定である。ネガティブコメントが否定しているのは意見である。意見の否定は批判である。一体、批判の何を怖がることがあろうか。