論点を明らかにしないまま印象を攻撃しあうのは議論ではないよね

如何に手を変え品を変えても結局論点がなんだかわからないことをいいあっているだけでは子供の喧嘩と変わりないわけです。どんなに色々な比喩を持ってきたとしても、核心的なところにちゃんと触れていかないと、「それで?」で終わってしまいます。

青少年によるネット利用自体を禁止しようということは,少なくとも国会議員レベルでは1人もいないのだから,上記楠さんの例というのは明らかに過剰ですね。

「根本原因が改善されない」ことを理由に現象面の改善を拒む議論: la_causette

といいながら

CGMサービスを利用したが最後そのようなメッセージが毎日大量に送られてくるという状況を放置しておけば,誘惑に負ける子供たちは少なからず出てきてしまいます。

「根本原因が改善されない」ことを理由に現象面の改善を拒む議論: la_causette

という。後者ってネット利用自体を禁止しないとできなくない?
反対側の議論もちょっと極端だと思うけど、「現象面での改善を拒む」のではなく、「極端な現象面での抑圧が根本原因を解決させるわけではない」というだけの話であって、極論(というのはこの場合は印象付けだと思う)が賛同を得られないからといって全部に反対しているように思わせるようなのは印象操作にしか見えなくなります。
元々「リテラシー教育なんて意味ないから規制すべき」みたいな論からはじまっているんだから、そこのところを曖昧にしたまま次のステップに向かおうとしても賛同を得られるもんじゃありません。いや、最初はそうでもなかったんだけど、段々極端な、非現実的な方向にばっかり話が進んでしまって反発されているわけです。そして、その原因は結局のところ

結局,今までどおり,少女売春や麻薬・ドラッグを蔓延させるためにネットが活用されることを邪魔しないでもらいたいというメッセージにしか受け取られないですね(原文ママ)。

「根本原因が改善されない」ことを理由に現象面の改善を拒む議論: la_causette

という受け取られ方を双方で繰り返していることにあるのですからね。不毛な議論を繰り返すくらいだったら論点整理から始めたらよいと思うのですが。
僕として思うところとしても、賛成・及び反対しているのが高市法案なのか規制そのものなのか、規制を認めるならどこの線まででその理由は何か、教育で解決すべきところはどこなのか、などは一度整理しないといかんとは。そして、「こういう風に思ってしまいます」なんて言辞を一切使わないで議論したいものです。