経営者たちの本音

「休みたいならやめればいい」を「正論を言ってくれた!」って褒め称える経営者が結構いるらしい。まあ先進国の中でも圧倒的に夏休みの少ないわが国の競争力なんて所詮そんなところにしかない。
日本はある意味文明化されてなくて、原始的な農耕民族の匂いを濃厚に残していることを感じる。未だに開墾地はあり、切り開いた分だけ収入になり、しかし自然災害で飢えて死ぬことを甘んじて受け入れるような。経営者など庄屋に過ぎない。切り開いた先が海にたどり着いてしまったらおしまいだ。
いかなる時も協定を(書類上)守らせようとする労組も異常ではあるが、社員の労働時間をむさぼりとる経営者も異常だ。これが正論なら、困窮した国が隣国へ攻め込むのも正当化される。
そう、自然との闘いで収入を増やしてきた日本人は、その正当化の果てが戦争だという事を知らない。否、一度大きな体験をした後にそれを教訓とすることを半ば拒んできた。無視するかのように農耕民族的勤勉さであらたな地平を切り開いてきた。
決められた土俵の中で闘うことは相手にもそのルールを守らせることでもある。一見ルール無用に見える競争相手がいても、経済という自然は落としどころをわきまえている。日本が本来落ち着くべきポジションになかなか落ち着かないのは旧態依然とした経営が未だ勝ち残るルールの残存にあるのかもしれない。
労働者を疲弊させて得た利益とは一体何なのであろうか。そこで遂げた成長は、出過ぎた杭として打たれるか、自重で潰れるようなものでしかない。無論、成功した会社の多くは黒歴史を抱えている。しかし、ルールを公然と無視したことをアピールする行為は愚劣だ。
平時に押してはいけないボタンが目立つように存在する理由は、平時にはそれを押さないことを認識させ、また、押されてないことを確認するためである。