マナー大いに語るべし

既成のものとして思考停止するんであれば語る必要ないと思うけど、そうじゃないでしょ?

だが実際にはルールもマナーも、額面通りに(字義通りに)読んだ場合身もふたも無いもので、大抵それを遵守する人を守ってはくれない。弱者は弱者ゆえに法を守るが、法は法廷においてほぼ常に強者の味方をする。

マナーなんて語れないし、そうすべきでもない - OAF

法律が強者の見方だというならば、マナーで解決できなかったら法律の出番なんだからよけいにマナー大事かもよ?

マナー違反を行う人を批判するのはとても難しい。明示(明文法化)されてないってことは大したことじゃないからだろ、という発想が(批判者にさえ)根強いからだ。
ここには「明文法」に対する強い信頼/権威付けがある。法には強制力があるからだ(だからこそ弱者ほどこれを重視する)。
マナーを軽視する人は、だから権威に弱いといってもいい。

マナーなんて語れないし、そうすべきでもない - OAF

法には強制力があって弱者はそれを重視するけど法は強者の味方だ、ってのはちょっとわからんなあ。弱者が強者の味方であるところの法に従うのは法が弱者を虐待しているのだ?って話?法治国家から去った方が良いのでは?
マナーの線を変えられないかな、という話が法と対照されるのであれば、むしろ強者のわがままを抑えるために最後は法が持ち出される、という風に考えた方が自然だと思うんだけど。
大抵のことはマナーで片付くんだと思うよ。他者から見てあまりに恥ずかしいことをしていないかどうか。外聞が気にならなくなったとき、マナーは意味を持たなくなり、法律の出番になるわけだ。特に日本では。
モンスターなんちゃらとか、他人が見て恥ずかしい行為をしていると思ったらやらないもんね。そこで喚く人ような人が最初から法律を持ち出しているのですよ。