政治的表明を強いられること

イスラエルから賞をもらったら、それを受賞するか否かを決め、理由を述べることで必ず政治的表明をしなければならない。沈黙は中立ではない。暗黙の肯定だ。
なんていわれるとしんどいなあ。逆パワハラみたいな?日ごろコメンテーターとしてこういった発言をしていた上で、たとえばそれとまったく正反対の行動をとるようなことには説明はいると思うんだけど。
政治的表明をすることが生きがいの人にしてみれば他人が政治的表明をしないことなんて許されるべきではないと思うのかもしれないけれど。
で、発言したら作品至上主義者から「作品の評価と政治は関係ない。なぜ政治向きの行動をとるんだ」なんて批判されちゃうんだぜ。
政治をやりたい人のために政治家とか(外交官等一部の公務員とか)活動家という職業(?)等があるんだけど、そういう人たちより世間に与える影響力が大きい人がうらやましい、ということなのかなあ。でもさ、政治的発言を強いて、たとえば戦争のさなかでも文化を伝えることを忘れないイスラエルみたいな発言をして世間がそれに乗っちゃっても困るわけでしょ。
立場を明らかにせよ、じゃなくて、俺が考える正しい行動をせよ、ってだけだよね。
政治的表明を強いることは敵でも味方でもない人を敵に回してしまうことがある。

まあ、もっとも、こういう類のところでどんなに声を上げたってそうそうは本人まで届かないんだけどね。それをわかって、出しに使って持論を展開しているのであれば、それはそれで一つのやり方だ。