著作権法とJASRAC、どっちを殺ればよい?

twitterで歌詞を呟いたら課金したいとかどんな集金団体なんだよって感じですよね。著作権って金を取ることを無条件で認める権利じゃないっての。日本語にとって歌詞だけ特別な存在であるわけない。文脈に依存しない単なる一節なんて他の著作物の無断使用だっていえるものが大半だろうよ。JASRACの論理に従えば、JASRACは言葉の使用料を払わずに作詞している犯罪者の手伝いをして本来権利のない使用料の取り立てをしている悪辣な詐欺会社になってしまう。もちろん、そんなことはないはずなんだが、昨今のJASRACの言動はそう思わざるを得ないほどのものに聞こえてならない。
著作権法が救いのないほどおかしなものなのか、JASRACが自らに与えられた力(それにしたって法的機関の代行ではなく権利者の依頼による手続きの代行にすぎないのだが)を勘違いしているのか、どちらかかは明らかだよね。
対象にすべきものを法の不備(というよりは技術の進歩に追随できていない状態)を利用して拡大解釈してあたかも権利のように言い張る手口は少なくとも公益法人のやることではないよね。
実質的な日本語使用料の徴収を実現させてはいかん。出版とウェブへの公開と個人のつぶやきのウェブ化と、確かに言葉の利用目的の在り方は変わってきている。商業と非商業のボーダーラインも不明瞭だしね。そんな今だからこそ、新しいルールが必要とされているのに、既存のルールをビジネスチャンスとばかりに適用しようと試みるのは(営利企業の論理としてならともかく)、文化の守護者をもって自認する団体として正しいあり方なのか、考えてみてほしいものだ。ま、単にもっと慎重に発言しろよJASRACってレベルの話かもしれないけどね。