個人の自由と自己責任、ホメオパシー

行政がある特定の事柄について個人の自由と明言する場合、それは憲法で保障された権利だから踏み込めないと判断している場合もあれば、本来行政が取るべき措置をさぼっている場合もある。他人に危害を与える行為について、個人の自由を制限することが行政の仕事の一つであるよね。
現状の、日本で流布されているホメオパシーを信じるのは個人の自由と言ってしまうのは、詐欺はだまされたほうが悪い、信じるのは個人の自由だ、と言ってしまうようなものだ。
これだけホメオパシーを非難している中で言うのも変かもしれないが、ホメオパシーは標準医療と共存できるはずのものであると思う。本来、標準医療を完全に置き換えることを意図していないはずだし、標準医療の受診拒否を行うものでもない。(プラセボで十分なため)治るものは治るし、治らないものは治らない、それを理解し対象範囲をわきまえたものであるはず。でも、ここ最近の事件を見る限り、日本でのホメオパシーの取り上げ方はその線を完全に越えていて、何でも治る夢の治療法に限りなく近い。そして、実際に起きている事件はそれが真実でないことを現している。
であるならば、これが医療の枠組みであるという誤認を与えている現状は、行政により規制することが出来るはずだ。それを明言しないのはサボりなのか何か信じちゃっているのかどちらなんだろう。単なる日和見でしかないのかもしれないけれども。

個人の自由はその先にあって、それでもなお信じるよ、というのは信じる側としても医療の枠組みを超えちゃっているのでもはや行政の力の及ぶところではない。

信じている人が、様々な治療効果を事実と思い込まされていることで信じているのか、あるいは、別の理由で信じているのか。前者の人をなくすのは科学の仕事であり、行政の仕事だろう。後者については、残念ながら人間対人間の枠でなんとかしなければならないけどね。