そろそろスッキリさせたい乙武レストラン問題

やっぱりすっきりしない乙武レストラン問題 - novtan別館では沢山コメントありがとうございます。立場や議論のポイントが違えば当然意見も違うということで、大変興味深いコメントが多かったですね。

さて。

ちょっとブーメラン的な事案過ぎて面白いものが話題

車椅子で来場を希望する方は、5月29日までに連絡要とのこと。

乙武洋匡さんの講演会、廿日市さくらぴあにて開催

そりゃまあ色々準備とかいりますからね、色々。

例えばですよ、100人収容のホールで100人車椅子が入れないとNG、という世の中になった場合、そのホールは本来200人くらい入れるけど定員100人にしないとダメ、みたいになっちゃいますよね。トイレは全部車椅子対応にしなければならない、とすると敷地の2割トイレ、みたいな。
1か0かでいうと1でなければならないとしても、100である必要はないですよね。でもそうすると「車椅子の団体さんお断り」になって差別…?

社会というものはどうしてもバランスが必要です。場所によっては車椅子なんてまだ強者の方で、目が見えないほうが大変だったりもしますよね。そういえば点字ブロックって最初は個人の尽力によって普及したって話ですね。

健常者だって諦めていることがたくさんありますね。主に時間と費用の問題で。あと、僕なんか銀剤のレストランに簡単に連れて行ける女友達なんて0とは言わないけどハードル高いなー。
そういうのも含めて社会はバランスで成り立っていて、そのバランスをぶち壊す行為は社会として平衡を保つための反動があります。逆に言うと、社会を変えるためにはそれを乗り越える力が必要です。女性の人権然り、嫌煙権然り。
障害者の問題が中々うまくいかないのは、マイノリティだから、という点が大きいですよね。自分の問題として捉える人が少ない。それでも、車椅子用のスロープはどんどんできているし、点字も普及しているし、まだまだ足りないものは沢山あるけれども、少しずつ社会は進化しているのです。そんな中でそれなりのものを勝ち取ってきた乙武氏がアレで怒るのはわかるけど、わからん。

今回の件がこんなに騒動になったポイントの一つは、「持たざるもの」が「持っている人」に対して抱く腹立たしさみたいなものもあるのかな。前述したことでもあるけど、「ちょっと入れなかったからって激怒しやがってこの小者が!俺なんて銀座のコ洒落たレストランなんてそもそもハードル高すぎていけねーよ!!」みたいな。問題全然違いますけどね。

ともあれ、健常者にも社会はハードルを設けているわけです。とはいえ、精神的なハードルと違って物理的なハードルは何とかしやすい。ただし費用は別。この部分をきちんと考えておかないとこの問題は実は解決しないのではないかと思ったりします。重要なのはマイナスが0になることであって、0がプラスになることではない。元々マイナス要素以外の部分はプラスだった人にとって、マイナスが0になることは確かにトータルプラスではあるわけですが、そこは障害者健常者関係ないところですよね。でも、マイナスを0にする費用で大勢の0がプラスになるならそっちに費用使えよ国はみたいな発想も出てくる。でもそれはあまりよろしくない考えです。それを突き詰めていくと、障害者に人権はいらない、年寄りは殺せ、バカも殺せみたいな話になっていきますが、現代の社会はその発想を抱くことを放棄することが正しく人の道だということで成り立っています(その点ナチの優生思想が果たした役割は人類史的には大きいですな)。その前提を覆すのは歴史に対する挑戦なので生半可なものではありませんからね。

そういう社会としての考え方のベースが合って、それからです。次はコミュニケーションですよね。なになには差別だ!と声を荒げる事は時と場合によっては必要です。でも障害者と健常者はまず人として対等であるべきで、そのためには相互理解は絶対に必要です。乙武氏に近しい人は彼の苦労も知っていれば人格も知っているのでわかっていることだろうと思います。
「障害者を差別してはいけないのは常識!」って言うのはそれが常識である人たちの中での話です。もちろん、日本は表向きはそれが常識とはなっていますが、個々のレベルで見ていくともちろんそうではない。差別をするのは建物ではなく人です。権利という文言ではなく人を変えて行かないと。幸い日本は建前を守れる人が割合的には多い世の中だと思っています。よく海外がーって話をする人がいるけれども日本人で海外在住で日本向けに情報発信できる層はそれなりに階層が上の建前が大事な層の人たちなんではないでしょうかね?友達がネオナチなんだけどみたいな人いないかな。

ただ、日本の問題は社会をリードする立場である政治家の人たちがどうも本音を言うという事を履き違えていて大事な建前をすっ飛ばしてしまうことですよね。そういうところもあって、今回の問題は「建前を守る」ことの重要さをあらためて認識するいい機会だったと思います。

「建前を守る」3回くらい復唱してみましょう。どうもインテリと呼ばれる層においても「敵に対しては建前を守る必要はない」というような都合のいい考え方が普及している気配もあります。差別をなくしていくためにはそういうのもやめた方がいいと思うんですよね。