法の理念には賛同できるが運用する人間が不安というジレンマをどう解決すればいいのか

秘密保護なんちゃらにしても児童ポルノなんちゃらにしてもヘイトスピーチなんちゃらにしてもさ、理念そのものについて文句を言うつもりはないんですよ。どれもある程度必要なことだと思っている。でも、その対象があまりに曖昧で恣意的な運用が可能、という風に見えてしまうととたんに不安になるわけです。お偉い先生が「文言的にこういう風に適用されるはずがない」とおっしゃってもさ、なんで「先生」なんつー敬称になっているのかわからない僕達の代表者たる市民が「こんなのもあんなのも捕まえちゃうからねーえへへー」ってトチ狂ったことをおっしゃるわけじゃないですか。日本の政治の本当に駄目だなーってところはこういうところで、支持者にしても反対者にしてもAll or Nothingな表明をしちゃう人が多くてさ、「法案の理念は支持するが今の文言だとダメ」みたいな立場の人はどっちつかずのコウモリと見做されがちだしさ。

とにかく「ちゃんとやるから俺たちを信用してよ」みたいな法律は作らせるべきじゃないし、ガチガチに運用を縛った上で、その法律を悪用したことが後でバレたら何年先でも遡及して責任を追求できるくらいのペナルティーを用意しておくくらいがちょうどいいと思うんだけどね。

それじゃあ運用なんてできない、という法律なんだったら本質的にはそれは民主国家には不要な法律なんだよ。