究極のチキンレース

システムは巨大になればなるほどいろんなことがわからなくなっていく。一番わからないのは「正解はなんなのか」だろうけれど、そもそもシステムなんてものに正解はない(間違いはある)のであるから、それを気にしては行けないのだろう。ともあれ、図体のデカさは様々なものの隠蔽を産み、結果として「今、間違いに向かっていないか」がわからなくなっていき致命傷を負うのだ。
図体がでかいということは、ステークホルダーが多いということでもあり、責任者が多いということでもある。誰しも首を飛ばすような結果は出したくないが、上意下達の世界においてそもそもの指令が実現不可能な要素をはらんでいるとき、行くも地獄、帰るも地獄という状況ができてしまうのがサラリーマンの辛いところではある。
結果として、「俺の失敗が目立たないように誰か先に失敗してくれないかな」という心理に行き着くのは自明である。何しろ前回の失敗の反省など目立って失敗した部署しかさせられてないもんな。
チキンレースに敗北した時、他のクルマたちに去来するのは勝利の喜びではなく、執行猶予の安堵である。チキンレースに興じるよりもすることがたくさんあったはずなのに、それをすべて放り出していたのだから結果は推して知るべし。

もうやだこの仕事。