何故実名の論者は匿名を憎むか

まず、これは匿名論ではない。それは別の機会に。
実名の論者が匿名を批判することはあえて実例を挙げなくてもそこらで良くみられる。何故か。きっと「匿名の人たちに嫉妬」しているに違いない。その自由に。その責任の無さに。いつでも消え去ることのできる存在の希薄さに。僕が現時点で納得のいく理由はそれくらいしか考えられない。
黒木ルールで言うところの実名ではなく、本当の実名を用いる論者は、その実名により、思っていても立場上言えないことや、生な感情の発露を自ら縛らなくてはならない。いや、本当は縛られているわけではないと思うのだけれども、それをやることで実生活上の何かを失うリスクを恐れているのだ。しかし、その反面現実で活動していることによる権威を持ち込むことができる。そこのトレードによって実名にしているのではなく、「責任を取るため」に実名にしているとしたら、それはその人の勝手だ。匿名であることを羨んでも憎んではならない。やろうと思えばいつでも匿名になれるのだから。そして、実名論者が自らの発言の責任を取って社会的地位を辞任したなんて話はめったに聞かない。自ら枷をはめてその範囲での発言を行うことを課したのであるから、当然であるが、だからこそ、自由な発言を憎むのであろう。
もし、「匿名で誹謗中傷を繰り返す人」のみが憎いのであれば、匿名で話す人全般に拡大する必要は無い。そもそも、ネットであれどこであれ、パブリックにアクセスが可能な領域に実名を晒すということ自体、自ら晒した部分では批判されることを覚悟の上で、名前を売る行為に他ならない。だから誹謗中傷というのはその晒した部分を馬鹿にされたような話では成立しえず、「近所に住んでいるから知っているがあいつは禿げている」のような類のものだ。
念のため言っておくけれど、あくまで何かしらの形で公的であることを望んだ人に対する場合の話で、例えば事件の被害者など自らの意思によらず世間にプライベートを公表されてしまったような人に心無い中傷を行うような行為を許容せよといっているわけではない。