文脈や立場の表明を暗黙の了解事項とすること

いくつかの揉め事やかみ合わない議論を見ていると、かなりの確率で前提の確認されない勝手読みによる相手の立場の推測が為されているように思います。傍で見ていると「ああ、こういう前提でこういうことが言いたいんだろうなあ」と思うことも多々あるわけですが、当事者に於いて確認が為されない。確認すれば良いのに。
ただ、その気持ちはわからないわけではなく、もともとある文脈で、ある立場で発言しているんだからその前提事項はわかってよ、という話であることはありますね。大前提足るべきものになればなるほど、わかって話していて当たり前ということになりがちですので、特に議論に途中参加したりする場合は途端にかみ合わなくなったりします。
また、暗黙の前提を読み解くことそのものが暗に要求されている、という場もあるでしょうし、一概に説明不足であることが問題とは言い切れません。
揉め事においては前提を確認しなければ先に進めないのに、揉めれば揉めるほどそこがおざなりになってしまったりしますが、前提が確認されていないことに気付くのは実は結構難しいことなのかも知れません。お互い相手がこうだと思い込んでいるから。
あと、冷静なツッコミって当事者の一方あるいは両方がエキサイトしているときはいかにも第三者な人が行わないとダメっぽいですね。相手に冷静なツッコミを入れられたときに頭に血が上らないのであれば最初からエキサイトしないですものね。
そんなわけで、議論のお作法として、ある程度暗黙のところを明示していく、と言うのは特にこういったブログの場では必要なんじゃないかな。