高い専門性を持った高度な書き手の問題について

小倉先生が期待していることはとてもよくわかります。

ekkenさんは「荒らしを許容するわけじゃないけど、誰にでも書き込みができるスペースを設けている以上、迷惑な書き込みを削除するというような多少のコストは覚悟しておいたほうが良いだろうなぁ。」と仰るのですが、実際には、そんな覚悟を求められるくらいならばブログでの情報提供などしないという方向に、特に質の高い情報を提供できそうな人々が向かってしまうだろうということは容易に想像がつくのであって、現実に日本のブログ界はそういう方向に向かっています(ネットでの匿名発言に寛容な佐々木俊尚さんですら、もはやコメント欄付きのブログは持っていないし、コメント欄なしのブログですら久しく更新していません。)。

「多少のコストを覚悟」させたら優秀な書き手は逃げてしまう: la_causette

これは確かにその通りであると思います。
僕は必ずしも、質の高い情報発信を出来そうな人が、その道の専門性、情報収集能力(質の高い情報源含む)、文章能力それぞれにおいてのプロである必然性は無いと思うけれど、やはりプロはプロなりの持てるものがあり、その貴重な時間を質の悪いコメンターとの不毛なやり取りで消費するなら本でも書いてくれと思わなくもありません。もちろん、売れる本を書けない*1人がウェブでの情報発信を行う方向に向かうのも必然で、どちらかの世界が倒れない限り、それは二極化していく問題かもしれません。

結局、今の商用ブログ環境だと、匿名の陰に隠れて他人のブログのコメント欄でブログ主等を執拗に個人攻撃することを恥じ入ることがない人々や集団が事実上支配することとなり、彼らのの知的レベルにブログ界が長期的に収斂してしまうことが予想されるのであり、

「多少のコストを覚悟」させたら優秀な書き手は逃げてしまう: la_causette

という側面があるのも当然否定できませんし、逆に実名の専門家ブロガーによって、それはその専門性がなすべきと見なした信念によって行われる行為かもしれないけれども、反論を許さないことで議論が終結してしまう、という事態も当然発生しているわけです。その専門家の権威と言うのは、しかし他人を切って捨てるのに値するのか。特に、著名ではあるけれども、本来門外漢である人が、その分野についての的外れ、あるいは外れてはいないけれど、反論や別のアプローチが可能な議論を荒らしとして受け取り、結果として負の権威化*2することを防げないと言うのであれば、ウェブがインタラクティブメディアである必要はありませんから。
ちょっと話が逸れました。何をもって個人攻撃とするのか、というのは結構難しい問題で、僕としてはバカな議論をしていることについて、そのバカであることをただバカというだけで終わらせるのは個人攻撃かもしれないな、とは思っていますが、人によってはバカの根拠を明示したとしてもバカという言葉を使ったことが攻撃と言うかもしれません。あるいは、事実の指摘でさえも、人によっては中傷と受け取るかもしれない。こういう主観的な問題は、たとえガイドラインを作成したからと言っても明示的になるわけではないし、逆にガイドラインに抵触しない範囲で精神的な打撃を与える手法も生み出されるであろうから、根本的に解決されるわけではありませんね。
とすると、少なくとも、自分のブログが「個人攻撃であるかもしれない何か」に汚染されない為にできることは、コメント欄を閉じることしかありません。その代替としてトラックバックも候補にはあると思いますが、まどろっこしい部分もありますし、罵倒トラックバックだって当然あるわけで。上手くいかないものです。

ブログ主に対しては誹謗中傷を受け続けることすら覚悟させる一方、匿名コメンテーターにはそのコメントを投稿したことにより受けるべき社会的評価の低下や法的責任すら回避させてあげる現在のシステムでは、「各分野の専門家によるレベルの高いエントリーがブログにアップロードされ、そこでその分野に興味を持った素人との交流や同じ分野を専門とする人々との高度な議論がなされる」ことがなかなか期待できないのが残念です。

「多少のコストを覚悟」させたら優秀な書き手は逃げてしまう: la_causette

そう、現在のシステムでは避けられない部分があります。そのシステムをどう変えるか、これが今後情報発信がウェブに移っていく上での課題でありますね。ただ、匿名コメンテーターの中の人がなぜ社会的評価の低下というものを受けるべきなのか、というのはよくわかりません。実名ブロガーが変なことを書いたら社会的評価が下がるというのはもちろん必然であり、逆にいいことを書けば評価が上がります。また、顕名コメンテーター*3はどんなにいいことを書いても中の人の評価は上がらず、ウェブ上での人格の評価にしかならないし、逆にウェブ上での人格も変なコメントをすると評価が下がります。真の匿名コメンテーターは、新橋でインタビューされる酔っ払い親父の暴言とほぼ同レベルであって、それがそれほど社会的評価に直結するとは思えません。
ただ、誹謗中傷の法的責任のようなものは、もちろん回避されるべきではない。そこについては再三述べているように、必ずしも誹謗中傷の意図が無いとか、相手の勘違いとか、そう言った行き違いが起こったときに取り返しがつかなくなる(被告になったとたん懲戒免職とか)事態が実社会的に想定しうる以上、ある程度慎重にならざるを得ないのではないかと思っています。
追記:このあたりの議論も参照してみるとよさそうhttp://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20070615/1181827716

*1:能力の問題ではなく環境の問題で

*2:今作った言葉だけど、「この人が言っているから間違いないだろう」と未検証のまま受け止められるような発言をする権威。海外なんかではノーベル賞受賞者なんかが陥りやすい

*3:ここでは黒木ルールの匿名ではないという意