手段と目的と、整合性と、真の目的。

目的のための議論をしていたら、いつの間にか手段の是非のみが議題になっており、目的はどうでもよくなっていた、と言うことは議論すべき対象を見失うとよくあることです。が、ある種の議論の中でこうしたことが起こりやすいのは多分にその目的が単なるお題目であって、本来的にどうでもよかった、と言う背景があるからではないでしょうか。
すなわち、真の目的は他にあり、その実現のためには、表向きの目的が正当化しようとしているところの手段が必要である、という場合です。こういう意図を持って話をしているときに、「目的は噛み合っているんだから、よりよい手段を模索しよう」と言う提案が無意味なのは明らかです。だって手段こそが本当の目的なのだから。
とはいえ、そういった議論の誘導をするためには、表向きの目的が強固で一般に受け入れられやすく、かつ、容易に他の手段が思いつかないものである必要性があります。そうでないと、議論が煮詰まっていくにつれ、目的と手段の間の整合性が無くなっていき、他の手段が採択されそうになったり、「そもそもこの目的そのものがおかしい」と言うことになってしまいます。そして、手段に固執するところが透けて見え出すと、議論の当事者たちは、建設的な話をしようとするのをやめて、手段が受け入れられないことを表明しつつ、議論を畳み始めてしまいます。
目的と手段に整合性が取れなくなったとき、真の目的を達成するのは難しいと思います。そういう場合、目的を挿げ替えるか、ほとぼりが醒めるまで鳴りを潜めておくのが賢明なやり方なのでしょう。