トンデモ医療裁判雑感

NATROM先生のところで日経メディカルの記事が紹介されていた。
詳しくはそちらのエントリ2007-10-11を見ていただくとして雑感として。
司法における裁判官と言うのは最も当事者から離れた存在であり、かつ最も当事者に影響を及ぼす存在である。人間のやることだから、「運が良かった」「運が悪かった」と言うことが発生するのは仕方が無いかも知れないけれど、やはり裁判官には先入観も、個人的な思想も、政治的圧力も関係無い状態で、かつ客観的な証拠が公平に提出された状態でできる限り正しい判断をしてもらわないと、司法が司法たる意味がなくなってしまう。
そういった点では、こういう専門知識を有しないと解釈のしようが無いような事件と言うのは、裁判官の思考能力と、その分野における資質に大きく依存してしまうから、なかなか難しい。こういう場合、複数の鑑定を総合的に判断することが義務付けるようなことをするか、一律基準を設定するようなことが必要になってしまう。そんな社会的コスト払えないよって言う話になったら、じゃあどこを減らすのか。裁判を起こさせなくするのか。それも正しくない。世の中は悪に正義が犠牲になるのか。裁判においては嘘がつけないような仕掛けでも無いと壁は越えられないかもしれない。
いずれにせよ、弁護士がどんなに悪徳であっても、裁判官がまともならまともな判決が出るべきであって、でも弁護士の悪徳と言うのは証拠を捻じ曲げること*1だろうから、証拠の証拠能力をどのように担保していくか、と言うのが解決しなければいけない課題。だから、現状ではどうにもなり辛いことなのかもしれない。

*1:これは検察の悪徳でもある