閲覧権ありやなしや

また面白いことを言う人がいる。さすが春樹御大の弟君だけあります。

「インターネット上で完全な著作権管理が可能になれば、ダウンロードやストリーミング配信時に適用する“閲覧権”を作るべき。これによって、映画館に足を運んだり、DVDパッケージを購入するには至らないライトユーザーにも、コンテンツを利用してもらえる。その際には、国民の合意の上で、広く、薄く、あまねく、代価を徴収する。国民が料金を支払い、事業者は収益からクリエイターに還元する。そういったWin-Winの関係を実現するために微力を尽くしていきたい。」

ネット配信で「広く薄くあまねく」徴収する“閲覧権”創設を

どうもよくわからないんだけど、完全な著作権管理が可能になったら、閲覧権なんていちいち言わなくても見たいと思っている人が見たいと思っているものに払えるようになるんじゃないの?と言うか、実際にいくらかそういうものは存在するし、ケーブルテレビのPPVだってそうでしょ。
ここで意外な事実を明らかにしましょう。今までは、ユーザーの側が、パッケージ商品を「業界の発展のため*1」という理由の為に、不当に高い値段で販売されることを「黙認」してきたのです!つまり、従来の関係こそがWin-Winであるのです。ところが、そのWinがどうも恣意的な方向に捻じ曲げられていないか、本当に消費者は自分たちが望むものの発展の為に余分なコストを払うことを甘受していると言えるのか、と言う疑問がわきあがり、今に到るわけです。これはある一面の見方。当然、インターネットの発展により技術的に云々っていうところは別の議論としてあります。
だから、そっちが黙認できないならこっちも黙認しねーよ、というある種原始的な関係に回帰している今の状態において、広くあまねくという考え方自体、馴染まない。それでも適用するのであれば、それが技術的に可能になっているのだから、その支払ったものがどういう内訳でどこに流れているかが公開される、と言うのが最低条件です。できないでしょ。それだと人は育たない。売れ線を食いつぶしていくしかない。だから、業界のコストとしては黙認してもらう形でとっていくしかない。これは消費者側も少しは意識しなければならないようにも思うのです。原理主義的に「いるものしかいらねーよ」と言うのは、銀行の貸しはがし的な論理と言うか、経営の効率化的な論理と言うか、まあ、突き詰めすぎると柔軟性を失って小さい地震で倒壊するような脆弱性をもってしまうわけですから。
それはさておき、この発言についてもっとも違和感があるのは「国民が」とか言っちゃっている所ね。消費者=国民とかしないようにしてほしい。グローバルに展開する意識とかそういうものがないわけじゃないだろうけど、日本のマーケットの中でどうやって絞ろうか、というずいぶんケツの穴の小さい話をしているように思えてしまいますね。いや、そういう話なのか。

角川氏は、「例えば、JASRACが音楽著作権を管理しているが、それによって音楽の自由性が損なわれてはいない」と答えた。

ネット配信で「広く薄くあまねく」徴収する“閲覧権”創設を

そうですね。歌詞を引用するにも使用料を払えばいい訳だし。個人であっても容赦しないけどね。それが文化の発展に寄与しているかと言うと、そうとは言い切れないというか言えないように思えてならないわけですが。

補足:最後の引用の話は文化の発展に寄与しない、本来正当性のない行為をJASRACはしているんじゃないっていう皮肉と、それを正当化する言についての皮肉のつもりです。わかりにくいね。

*1:業界が発展することが、消費者として、いいものを手にすることが出来る言う考えによって